せめてオチをつける
やたら他人の生き方に口を出してしまうのは、その人をほんとうに心配しているのではなく、単に何か言いたいだけです。
親身になって考えたら、簡単には他人の領域に踏み込めないものですから。
それなのに、「あの人は私の忠告に耳を貸さない」と逆ギレします。
自分が親身になっていないのだから、当然のことなのに。
「世間の目は厳しいわよ」などと口走るときは、自分で自分を窮屈な枠にはめているのです。
そもそも「世間」の人はだれなのでしょう。
アルゼンチンの人々は、「世間」に含まれません。
地球の裏側まで行かなくても、自分をまったく知らない人々は、隣町に住んでいても「世間」といえません。
また、親・兄弟・配偶者・同僚・友人を「世間」でくくるのは、おかしい。
ですから、「世間」は、自分の顔や名前を知ってはいるものの、日常会話を交わすほど親しくない、ふだんは自分に無関心な人々となります。
実際は、自分自身のあいまいな価値観を、周囲に投影したものが「世間」。
「メイクをしないで出かけるなんて、世間の目が恥ずかしい」と気になる場合。
すっぴんの自分がなんとなく恥ずかしいだけです。
多くの人が、自身の顔を鏡で細かくチェックしても、他人の顔はあまり見ていません。
ところで、他人に対して攻撃的になるのは、過剰な自己防衛。
「弱い犬ほどよく吠える」というように、弱くて、つまらなくて、自分で自分が嫌だから、周りにかみ付くわけです。
まさに「口は災いの元」。
口を開くたびに、周囲に迷惑をかけ、疎まれ、嫌われ、自分にトラブルを招いているわけです。
それでも、おしゃべりは楽しくてやめられない。
だったら、せめて起承転結をつけて、必ずオチをつけましょう。
自分の不運や悲劇も、他人にはちっともおもしろいものではありません。
ですから、笑い話に作りかえて、最後に自分を笑い飛ばすぐらいのサービス精神は忘れないように。


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