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アダルトチルドレン、インナーチャイルド、そしてドツボ

私自身、つくづく思います。
「よく、まあ、子どもの頃のことを覚えているものだ」と。

同時に、思うのです。
「覚えているのではなく、思い出してしまい、それを反芻した結果だろう」と。

アダルトチルドレン。
ざっくり説明をすると、機能不全家族で育った人。
私がアダルトチルドレン関連の本を手に取ったのは、20代前半。
就職したものの、学校で学んできたことと世の中とは大違いで、「なぜ自分の理屈が通らないのか!」といら立ちを覚えていました。
過食、毎回酩酊するほどの飲酒、太るのが怖いから過度のエクササイズ。
表面は「あこがれの仕事をこなす、スリムな女性」を演じているつもりでしたが、生活はぐちゃぐちゃ。
そんな日々の中で、アダルトチルドレンを知ったのです。

「私はアダルトチルドレンだったんだ!」

そのときは、行き詰っている自分の理由がわかった気がして、滂沱の涙。
激しく感情を移入しました。

そして、アダルトチルドレン関連の本にインナーチャイルドが書かれていました。
これもざっくり説明すると、内なる子ども。
例えば、幼い子どもの頃に、「あんたを堕ろすつもりだったのに」と母親に言われ、傷ついたとします。
その子ども時代の心情が、大人になっても残り続け、マイナスの感情から自分を傷つけるような行為を取ったりするらしいのです。

「あなたの泣いているインナーチャイルドを見つけて、傷ついている自分をぎゅっと抱きしめてください」

というようなことが、本には書かれていました。

そうか、インナーチャイルドをほうっておいてはいけないのだと、当時、思いました。
また、インナーチャイルドに出会えば、今の状況が奇跡的に、すべて好転するとも、思いました。

では、母親の言葉に傷ついているインナーチャイルドを抱きしめてみよう。
そうしている間にも、私の目からたくさんの涙がこぼれてきました。
「悲しかったよね、苦しかったよね、つらかったね、大変だったね……」

さあ、これで私は変わる!!というのは大間違いでした。

芋づる式に、過去の出来事がどんどん想起されて、インナーチャイルドだらけ。
「あのとき、酒に酔った父親がわけわからず激怒して、私は殴ったり蹴ったりした」
「夫婦ゲンカになるのは、私が悪いからなんて、母親が言う」

すると、もう、腹が立って腹が立って、「こんな私になったのは、全部親のせいだ!」「どうしてこんな親から生まれてきたんだ」と、自己憐憫と自己否定のドツボにはまってしまったのです。

親は親で、私が社会人になってからも電話で怒鳴ったり、ぐちぐちと恨みつらみを話し続けたり、相変わらずの人たちでした。
アダルトチルドレン関連の本には「幼かったころの感情を、親に率直に話してみては」なんて書かれていましたが、現実的ではありません。

それよりも、最初から記憶のふたをこじ開けたりしなければよかったのです。

もしかしたら、アダルトチルドレンであってもなくても、社会に出れば学生の論理や道徳は通用しないから、葛藤があったかもしれません。
つまりは「学生の甘え」に過ぎなかったことを、私はアダルトチルドレンを原因にして逃げていたのです。

また、私は社会人になり、親の援助はいっさい受けてなかったのだから、言葉の暴力を毅然と跳ねのければよかったのかもしれません。
「いきなり怒鳴り散らすのは、大人としておかしい」「愚痴を聞いている時間はない」と冷静に対処できるところを、私は子ども返りして、親に支配されていると勘違いしていました。

時間をかけて、社会勉強をして、大人になっていく中で、少しずつ消化できていく悩みや葛藤、生きづらさを、私は手っ取り早く解消したかったのでしょう。

アダルトチルドレンの本を手に取ってから10年以上がたち、「ああ、楽になったなあ」とほっとしたのは、父親が亡くなったときでした。
「これで、あの声から解放された」とつい思ってしまい、うれしさと罪悪感がありました。

もし、私が今書いている内容を父親が知れば、「ほんとうにバカだ。頭がおかしい」などと私をののしるでしょう。
母親が知れば、「だって、かわいげのないあんたが全部悪かったんでしょう」と言うでしょうね。
「子どもの頃につらい思いをさせてごめんね」という発想自体、彼らにないことは、長いつきあいの私がいちばん知っています。

父親が亡くなってから、母親とは穏やかな関係が続いています。

だから、過去のことなど、もうどうでもいいのです。
記憶の芋掘りをしても、ろくなことにならないのですから。

1つ思うのは、せめて自分の子どもたちは、私が死んだら単純に悲しめるような関係でありたいなあと。
私がひっそりと抱いたようなぐちゃぐちゃの複雑な気持ちは、味わわせたくないなあと。

もう、うんざりです。

今と、これからの未来をしっかりと見据えて、生きていくほうがはるかに幸せです。

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幸せな人と不幸せな人

男も女も関係なく、自分で自分を幸せにしようと努力している人は、きっと幸せなのだと思います。
その努力をしない人は、周囲の人を巻き込んで、自分自身を不幸にしているのだと思います。

私の母は後者で、子ども時代の私は少なからず不幸せでした。
ずいぶん前にブログに書きましたが、私が幼稚園児の頃に「あんたを堕ろすつもりだったんだけど」などと言いました。
私の父は酒乱でした。おそらく祖父も、酒乱だったようです。
母は事あるごとに「あんたにはお父さんの血が入っているからね」と口にしていました。
かまってくれなくて泣いていたら「なに泣いているのよ!!」と怒られました。
庭で髪を切ってくれたのですが、それを私が気に入らずに膨れていたら、バシバシと私の体をたたいたので大泣きしました。
髪が服に着くと大変なので、そのときの私は裸で、「何事か」と近所の男の子が壁をよじ登って私たちを見ていました。
それで母親は言いました、「ああ、もう、恥ずかしい」。

ずいぶん昔の田舎での生活だったので、周囲の中で私はとても賢い女の子でした。
よく覚えていませんが、親に気に入られたいと努力したのかもしれません。
そこそこかわいかったので、小学校ぐらいだとけっこうモテました。
それが、母にはうれしかったようです。

私は子どもらしい明るさと、学級委員を務めるような優秀さと、そこそこのかわいらしさを保って、田舎の義務教育を終え、地元で評判の高校へと進学しました。

10代を振り返ると、家庭はくつろげる場所ではありませんでした。

酒乱の父は、気に入らないことがあると殴ったり蹴ったりします。
母は、父の愚痴をずっと私に聞かせるし、事あるごとにトラブルを私のせいにします。
でも、私は田舎の優等生で、家の外に出れば私は母の自慢の種でした。
父も教師だったので、やっぱり母には自慢の種。
「ウチの主人の学校は……」なんて、近所の人に話している母でした。

そんな私も40代に突入し、子どもを育てています。

20代のころは、自分が子どもを生み、育てるなんて、考えていませんでした。
「虐待の連鎖」などを耳にしたこともあったので、怖かったこともあります。
それ以上に、私がつきあう男たちときたら、私の若さとそこそこの外見を気に入って近づいてきただけで、いっしょにいてもくつろいで生活できる人たちではなかったのです。
不思議なことに、妻子持ちのデブなオヤジが口説いてきても、なぜか私はその相手の誘いを断らなかったのです。
今思えば、私に言い寄ってくる相手に合わせようと、私はいつもクタクタでした。
まるで、彼らと私との関係は、両親と私との関係のようです。

つきあっては別れるを繰り返し、ようやく、目の前でオナラができるほどくつろげる相手を見つけられました。
その人と結婚し、今に至ります。

子どもを生んだ頃は、「子ども自身にも個性があるのだから、親の影響を過分に見積もらないようにしよう」と思っていました。
しかし。
私自身の子ども時代を振り返ると、やっぱり、親は子どもに影響を与える存在だと認めなくてはいけません。

だったら、私はどのような行動を取ろうかと、考えてみました。

けっきょく、親が誰かに幸せにしてもらおうとすれば、シワ寄せが子どもに行ってしまうのでしょう。
親が自分の人生に責任を取らないと、知らないうちに子どもに責任転嫁したり、子どもの未来に嫉妬したり、ほんとうに迷惑をかけてしまいます。

だから、私は、全力で自分の人生を幸せにしたいと思うのです。
周りの人に「あの人、なんか変」「あの家族、どこかおかしい」と思われることを恐れずに。

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