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働くお母さん

「会社員」に執着したが
とうとうギブアップ

 私が会社を辞めたのは2年前のこと。
 辞める前の3年間については、私は1人で2人の幼い子どもを育てながら雑誌編集の仕事をしていました。もともと私と夫は地方出身者同士で結婚し、共働きで子育てしていたのですが、夫が単身赴任になってしまったのです。
 夫の単身赴任が始まった5年前の時点では子どもたちは保育園児。まだ幼くて手はかかりましたが、私は保育士と毎日顔を合わせるし、連絡帳で細々と伝え合うことができたから子どもの様子がわかりました。
 しかし上の子が小学生になると、私は仕事の後に学童保育と保育園の2カ所に子どもたちを迎えに行かなければなりません。担任の教師とは直接1対1で話す機会はないし、上の子が持ち帰る大量のプリントでスケジュールや持ち物を把握することになります。
 それでも上の子が1年生の頃はまだよかったのです。担任の教師が子どもに上手に接することができると評判の人だったからです。上の子は勉強ができるわけでもスポーツが得意なわけでもなかったのですが、それなりに楽しく学校に通っている様子でした。
 ところが2年生で担任が変わると、上の子には爪をひどくかむ癖が出てきました。新しい担任は教師になりたてで、子どもたちを無視したり冷淡な言葉をかけたりするといううわさが耳に入ってきました。
 学童保育では「上の子がルールを守らない」「暴れる」と報告がありました。正直、当時の学童保育の支援員に対して私はいくつか疑問を持っていました。自分たちが決めたルールを自分たちで破っていたし、ヒステリックで子どもに接する態度も保育士とはまったく違っていたからです。
 上の子の変化にはうすうす気づいていましたが、私はそのまま流していました。結局、仕事と家事と子育てを回すことしかできなくて、不都合な現実を見たくはなかったのです。担任は評判が悪い。学童保育には疑問がある。だけど自分から働きかけると時間も労力も使う。だから、とりあえず様子を見よう。そんな態度でした。
 当時の私は、夜は眠れないし、ひどい腹痛を伴う下痢と便秘を繰り返すし、職場のトイレで吐くことがありました。
 子どもも自分も様子がおかしくなっているのに、私は仕事を辞めようとはしませんでした。「編集者」であることに固執していたからです。会社員としての収入はもちろんですが、私は仕事をしていることが自分のよりどころでした。編集という仕事はおもしろいし、自分の能力が役に立っているという実感もあったし、仲間やスタッフと離れたくありませんでした。
 「編集者」「会社員」にしがみついたものの、とうとうギブアップしたのが2年前でした。ギブアップしても執着は残っていて、悶々と悩んでいました。道で会ったママ友からは「どうしたの?」「大丈夫なの?」「インフルエンザ??」などと声を掛けられ、病的な雰囲気を醸し出していたようです。

私と家族のために
働き方を変えてみた

 会社を辞める理由の一つは、過敏性腸症候群的なおなかの不調をはじめ、私自身の体の問題。
 そして何度も提出した異動希望がかなえられなかったなどの職場の問題。
 それ以上に私の背中を押したのは、上の子のことでした。仕事で子どもの発達障害について取材する機会があり、調べるうちに「上の子は発達障害の一種ではないか?」と考えるようになったのです。字を書くのが遅く、特に板書をノートに書き写すのがとても苦手でした。2年生のときの担任教師にも伝えたのですが、「怠けているだけ」「だらしない」「親の愛情不足」などのようなことを言われたので、こんな教師ならもっと自分が子どもにかかわったほうがいいのではないかと思い始めました。
 同時に、高学歴を目指して私立中学などを受験することもないだろうし、教育費がさほどかからなければ夫の収入だけで生活できるのではないかと貯蓄や将来の支出を計算しました。
 さまざまな理由があり、会社員を辞める決心ができたわけです。
 辞めてすぐに気づいたのは、肩書きは自分で作れるということ。業界にはフリーランスの人がわんさかいるわけで、私も「フリー編集者」と名乗ればいいだけです。幸いと言うのか、私が抜けたことで元の職場が人手不足になり、私はフリー編集者として働き始めました。
 そしてもう一つ気づいたのが、会社員時代ももっと違う働き方ができたのではないかということでした。
 会社員の頃は、子どもたちと一緒に家を出て、下の子を保育園に送ってから駅に向かい、電車で通勤。既定の時間を会社や取材先などで過ごし、電車から降りたらダッシュで学童保育へ行って、上の子の手を引っ張って走るようにして保育園に下の子を迎えに行っていました。子どもたちを迎えに行く時刻から逆算して仕事を終わらせていたので、仕事量が多いときは昼食を抜くこともよくありました。
 そんなわけで会社員時代は同僚の働き方を見る余裕もなかったのですが、外部の人間として眺めるともっと自由と言うか、「ページを落とさなければよい」というスタンスで仕事を進めていることがわかりました。「私もあんな働き方をしていれば、おなかを壊さなかっただろうし、辞めずに済んだんだろうな」としみじみ思いました。その一方で、「あんな働き方」を小心者の私の性格ではできないだろうとも思いました。結局はやめるしかなかったのです。

私が変わったら
子どもも変わった

 会社を辞めたら、不眠がずいぶんと改善し、原因もなくおなかが痛くなることもなくなりました。見た目は病的な感じがなくなったようで、「顔色がいいね」と昔の同僚に言われました。体は正直です。
 上の子の様子もずいぶん落ち着きました。それもそのはず。以前は母親と過ごすのは1日の数時間で、その間はずっと「早く」「急ぎなさい」と言われ続けていたのですから。一緒に過ごす時間が増えて「お母さんが自分のことを気にかけている」と感じることが、上の子にとっては大事だったのだと感じています。
 上の子が3年生になると担任の教師が変わりました。うわさでは、2年生のときの担任は評判が悪すぎて保護者から苦情が出て、1年しか赴任していないのに別の学校に移されたそうです。これはチャンスだと私は思い、「子どもの学習障害、特に書字障害を疑っている」と、新しい担任の教師に手紙を書いて渡しました。そして上の子を教育センターに連れて行き、テストを受けさせました。結果は「専門の病院に行くと発達障害と診断される可能性が高い」。このデータを持って担任の教師と面談し、書いて覚えるような学習法ではないやり方を検討したいと伝えました。
 上の子自身にも「ほかの子どもたちと同じような学習法は苦手だから、どうやったら勉強できるかを考えよう」と話し、子ども任せにせずに向き合うようにしています。
 下の子については小学校に上がると同時に私が会社を辞めたこと、発達障害の傾向は見られないことから、スムーズに学校生活を始められたようです。
 上の子も下の子も、母親がついているほうがいいタイプだと思います。もちろん、そうでないタイプの子もたくさんいて、サクサクと子どもが自分で物事を決めて親がサポートをしているような家庭もあります。近所に親類がいるかどうかなども各家庭で違うので一概には言えません。我が家に限っては、母親である私が会社員を辞めたことが、私自身にも子どもにもよかったようです。

子育てに専念する
気持ちは一切なし!

 現在の子どもたちは母親との時間を必要としているでしょうが、あと1~2年もすれば自立心が強くなって必要度は減っていくはずです。そのときに、ぽっかりと穴が開いたような気分にはなりたくないと思っています。
 ですから、フリー編集者・ライターの仕事を続けていくのですが、出版業界がしぼむ傾向があるうえに、フリーランスがわんさかいます。仕事をもらうというスタンスだけでは尻すぼみだから、自分で仕事を作っていくことにしました。そう決めて、まずはリトルプレスを立ち上げたものの、本の作り方はわかるが売り方はわからない状態で試行錯誤。まだまだ勉強しなければならないことがたくさんあります。
 編集者なのか何者か自分でもよくわかりませんが、これからも何らかの形で仕事をして、働くお母さんであり続けようとしています。

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『誕生数占い』中面は完成したものの足踏み状態

『誕生数占い  転機で遭遇する12のあなたらしい生き方』の作業が止まっています。

理由はカバーと表紙の絵を息子が描くと言っているから。
中面の文字直しとデザインは出来上がっているので、なんだかな~という感じがしています。
息子には夏休みの宿題をさせなければいけないので、悩ましいところです。

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性器を触る癖がある子どもへの対処法

 「性器を触る癖がある子どもには、どのように親は対処したらいいのか」というテーマで、精神科の明橋大二医師に取材したことがありました。
 明橋医師は親が「汚い! 触ったらダメ!」と注意するのではなく、「大事なところだから、きちんと手を洗ってから触ろうね」と語り掛けてくださいとのこと。
 性器も子どもの体の一つ。その部分に向かって「汚い」という言葉を親が発することで、子どもは自分の体が汚いと否定されているような気持ちになるようです。
 また、性に関することでも「汚い」「ダメ」という表現によって、大事にしなくてもいいとメッセージを送ることにつながるかもしれません。

 明橋医師は子どもの援助交際や不純異性交遊について言及していました。

 性教育によってセックスで妊娠する可能性があることは、子どもたちはじゅうぶんにわかっている。しかし、性教育をみっちり行っても援助交際や不純異性交遊の抑止につながっていない。それはなぜか。
 子どもたちの自分の体に対する肯定感が低いから、性に関することも含めてぞんざいに扱っているのだ。
 性器を含め自分の体は大事、性は妊娠や出産に関係することだから大事。そんな思いがあると、子どもたちは性を含め自分の体をもっと大切にするようになる。

 そんな話でした。「なるほど。そういう関連性もあるんだ」と私は納得しました。
 「大事にしようね」「大切だよ」と語りかけるか、「汚い」「ダメ」と語りかけるかで子どもに刷り込まれるイメージは大きく変わるわけです。逆に親についても、語り掛ける言葉が「大事」「大切」だったら声を荒げたり、嫌悪感をにじませたりすることもないはずです。
 明橋医師の著書を読んでいると、はっと気づかされることが多々あります。
 例えば、子どもにキレてしまうとき。明橋医師は親が子どもに非現実的なことを求めているからと指摘しています。子どもは自己中心的だし、失敗するし、言うことを聞きません。それを大前提にするとキレている自分がアホらしくなりますし、「キレても意味がないから、どうしたら私の話に耳を傾けようとするか考えよう」と別の発想も湧いてきます。

 明橋医師の著書のレビューの中には「理想論で現実的ではない」「親が子どもの奴隷になる」というような意見もありました。
 確かに、私も夫が単身赴任で一人で保育園児と小学校低学年の子どもの面倒を見ていたときは、「早く早く」と子どもをせかし、話を聞いてあげる時間なんてありませんでした。明橋医師の著書に書いてあることなんて全然実行できていなかったのですが、それでも理想論とは思っていませんでした。これだけは押さえておいたほうがいいなと考えた最低限のことだけ心がける、それ以外はできる範囲で、という感じで参考にしていたからです。

 育児書全般に言えるのですが、「子どものために全部を実行しなければいけない」と縛り付けると「不可能」「奴隷」みたいな極端な結論を出してしまうのではないでしょうか。子どもの抱っこが身体的につらければ、ハグでいいと思います。仕事で忙しいときには、子どもをせかす場合もあるでしょう(ただ、仕事をがんばり過ぎていないかの見直しをしたほうがいいかと)。「子どもが絶対」ではなくそのときどきの優先順位で、柔軟に子育てができるといいですね。

 「子が宝なら、母親も宝」と明橋医師は語っています。

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人間は今も昔も変わらないのかな??  『古い医術について 他八篇』ヒポクラテス

○技術について 第一節
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 諸々の技術を誹謗するための技術を作ったところの人々がある。
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 医学の教科書に書いていないような、新しいさまざまな治療法に対して、「そんなの効くはずがない」「おかしい」とおとしめるようなことを言うのがとても上手な人がいますよね。さも論理的な雰囲気で。
 そんな人々は「別に、新しいことを否定するつもりはないよ。ただ、医学をよくわかっていないみたいだからさ」などと自分の医学的な知識を教えようとしていると思い込んでいるとヒポクラテスは語っています。

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 これに反していかがわしい言葉の技術によって、他人の発見の結果を誹謗することにいっしょうけんめいになり、進歩は何らもたらさずに、学識ある人々の発見を学識のない人々に向かって誹謗して見せるのは、けっして人知の欲求でも課題でもなく、けがれた根性の徴しもしくは技術の欠如である。
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 新しい発見をしようとするのは私たちの欲求であり、課題であるとヒポクラテスは語ります。それにもかかわらず、粗探しばかり行っている人は、自分に新しい発見をするだけの技術がなく、実力もないのに名声ばかり求めているわけですね。

○医師の心得 第一節
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 経る時の中に機会は含まれている。しかし機会は長い時を含んではいない。治療は時の経過による、しかし機会によることもある。しかし医療は、このことを知りながらもあらかじめもっともらしい理説を頼りにこれを行うのではなく、実地に理説を配しながら行うのでなければならない。
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 時間は絶え間なく過去から未来へと流れていき、その中の一瞬だけチャンスが訪れます。
 病気は長い時間をかけて治っていくこともあれば、あるタイミングで治ってしまうこともあります。「この病気は治るのに時間がかかると教科書に書いてあったから」と学説だけをもとにするのではなく、患者さんの変化を観察しながら学説を参考にして治療を行いなさいとヒポクラテスは語っています。
 学説などに頼って治療を行うと、治療は行き詰まり、罪のない患者さんに迷惑がかかるわけです。

○医師の心得 第二節
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 しかし言葉の上だけでなされた結論からは何ら益も得られない。益は事実の明証にもとづく結論から得られる。饒舌による強弁は欺きやすく、あてにならない。それゆえいやしくも安定さと、我々が医術と称しているところのあの間違いなさの域に到達しようと欲するならば、われわれは終始事物の生成の概括化に努め、事実への密着に努めなければならない。
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 口ばっかりで理屈をこねくり回すよりも、事実をしっかりと観察しなさいとヒポクラテスは語っています。
 ヒポクラテスが活躍した思われる紀元前400年頃と現在とでは、状況はあまり変わっていないように私は感じました。
 口ばっかりの人は、自分の知らないことを否定するのが上手ですからね。

 ヒポクラテスの誓いよりも医師の心得のほうが私が共感し、納得した文章がたくさんありました。

 教科書に書かれていないこと、論文で発表されていないことは、スルーしたり「根拠がない」と否定したりする傾向がどの分野でもあると思います。
 では根拠とされる論文はどうやって書かれているのでしょうか。

 私が駆け出しの編集者だった頃、ある有名大学の歯学部の教授に取材に行きました。教授が発表された論文に関して、記事を作りたかったからです。
 取材の場で、教授にあいさつして論文の内容を聞き始めると、「ちょっと待ってね。○○君!」と若手を呼び寄せました。「はい、全部彼に聞いてね」と教授はニコニコ。教授も同席して取材を進め、原稿はその教授の名前で掲載しました。
 後でわかったのですが、教授は名前だけ貸しているような状態が多いのだそうです。学会で力を持っているような教授の名前で論文を出したほうが、認められやすいのだとか。
 『ドクターX』や『マスターキートン』でも、大学や論文発表について描かれていますね。

 根拠とは学説や論文の引用ではなく、目の前で起こっている現象であり、それが偶然か必然かを確かめる観察の積み重ねだと思った次第です。
 人間は昔も今も変わらないというのか、歴史は繰り返すというのか、古典を読む大切さを実感しました。

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甲田光雄医師について書き残しておきたいこと すべて

「医学の常識」と戦った
甲田光雄医師

 大阪府八尾市にあった甲田医院の甲田光雄医師は1924年8月2日に生まれ、2008年8月12日に亡くなりました。生前、甲田医師は何万人もの人々に断食や少食、生の穀物や野菜を食べる「生菜食」、背骨のゆがみを直す運動などを指導しました。そして、現代の医療で見放されていた難病がみごとに治ってくるという症例が続々と出てきました。

 甲田医師は少食を多くの人に実践してもらうために、書籍を数多く出していますし、雑誌にも登場しています。
 私は雑誌編集者だったので書籍編集者よりも甲田医師との仕事密度は薄く、単発のものが5~6回程度。甲田医師はダダダッと少食の歴史や理屈を話し、私たちは必死にメモを取っているということがほとんどでした。
 また、甲田医師に「あんたはもう、そんなに食べんでいいやろ」と少食を促されたにもかかわらず、白砂糖を使ったお菓子を食べるし、肉も食べるし、お酒を飲みます。生菜食と少食、運動はすぐに挫折しました。
 甲田医師の療法を実行できなかった私が語れることなど、本来はありません。おこがましいと思っています。
 それでも、甲田光雄という医師によって多くの人が助けられたということを書き残しておきたいのです。甲田医師に会って、話を聞いただけで、生きる希望や前向きな気持ちを持てるようになった患者さんがたくさんいたからです。

 甲田医師は1958年に甲田医院を開業したそうですが、高度成長期から1980年代まで「動物性たんぱく質を摂取しよう」「1日30品目食べよう」というスローガンが掲げられていました。メタボが問題視され、断食が「ファスティング」などと呼ばれて一定の認知度がある現在とはまったく違います。
 そんな時代に、断食や少食で病気が治ると訴えた甲田医師は異端者だったに違いありません。甲田医師が当時に書いた本をいくつか読んだのですが、大変に理屈っぽく、「敵と戦ってる……」という感想を私は持っていました。さまざまな批判に対し、甲田医師は根拠となるデータを集めて反論しまくっているという印象です。
 周囲の医師からは白い目で見られたでしょうが、事実として、甲田医師の指導で難病の患者さんが多数治っていったのです。目の前にはたくさんの実例があるのに、医学の教科書ばかり重視して事実を認めようとしない人々が甲田医師には歯がゆかったはずです。

 甲田医師は60年にわたって断食や少食を実行し、自身の食欲や周囲の冷笑と戦いながら、「少食で病気が治る」という信念で患者さんを治療してきました。おそらく、生命が危険な状態にあると医師として判断した患者さんにも、本人に生きたいという意欲があれば甲田医師は励まし、少食を指導したでしょう。甲田医師自身が若い頃に医師に見放された経験があるため、患者さんが絶望するような言葉は決して言わなかったと思うのです。多くの患者さんに慕われていたのは、そのためでしょう。

 1990年代に私が訪ねた甲田医院は昭和の趣がある建築で、庭には虫にいっぱい食われているけど青々しいコマツナがたくさん栽培されていました。このコマツナを青汁にして、入院患者さんたちは飲んでいたのでしょう。
 雑誌編集者というものは下世話な存在です。甲田医師本人だけでなく、患者さんたちからも甲田医師の治療についていろいろと話を聞いていました。そして「甲田先生の治療は、本当にお金がかからないのよ」と聞いたときには、少食にすると食費はかからないし、料理のガス代も節約できると話していた甲田医師らしいなあと感じました。私が会ったときはいつも、甲田医師はシャツとネクタイ姿で、古びているけれど洗濯されて糊のパリッと利いた白衣を身に着けていました。

 甲田医師は体調を崩してからも私たちの取材に応じてくれました。甲田医師はさらにやせていて、座っているのもつらい感じだったのですが、やはり糊の利いた白衣を着ていました。そして「この人は青汁だけで生きている仙人や」と取材の場で森美智代さんを紹介してくれました。
 甲田先生が診療を休んでいた頃、「とても残念だ」と語る患者さんに会ったことがあります。「私は診てくれないのに、マスコミの取材には応じるのか……」と思う人もいたでしょう。
 しかし、残り少ない自分の命、この世にいられる時間を使ってより多くの人に少食を広めるために、いい意味で、マスコミを利用したのだと思います。甲田医師は自分のカリスマ性について認識していて、自分がこの世を去ることで少食が忘れられることに危機感を抱いていたのかもしれません。そして少食の伝道師として、森美智代さんを選んだことを私たちに知らせたかったのでしょう。

 そのような医師が存在したということ、そして難病を改善させるためにはお金も手間もかからない少食という選択肢があるということを書き残しておきます。

大飯食らいだった
「断食博士」

 甲田医師は、何万人もの人々に断食や少食を指導してきました。そして、難病がみごとに治ってくるという症例が、続々と出てきました。
 健康になりたいと思って、断食や少食を実践すれば、なんとか生き抜こうとするエネルギーが、体の中からわき上がってきます。そして、体が軽くなり、どんどん元気になってきます。甲田医師によると、これが自然の法則なのだそうです。

 甲田医師自身が、最初に断食を行ったのは1950年のことです。私が甲田医師に会った1990年代は、以下のような少食生活を送っていました。
○朝3時 起床
○昼12時 青汁を飲み、生の玄米をすりつぶした生玄米粉と豆腐を食べる
○夜6時 青汁とニンジンジュースを飲み、生玄米粉、豆腐、ゴマ、海藻類を食べる
※午前中は、水と柿の葉茶をたくさん飲み、食べ物はいっさい取らない

 甲田医師は、食べない楽しみを味わいながら、毎日、気持ちよく生活していると話していました。
 ただ、甲田医師自身、生来の大飯食らいで、甘い物好きだったそうです。「まんじゅうでも大福でも、1つなら食べないほうがましで、3つも4つも食べないと満足できなかった」とのこと。

 甲田医師が少食を続けるようになったきっかけは、慢性肝炎を断食で治したことでした。
 中学のときに、食べすぎのために慢性の胃腸病にかかって、2年間学校を休みました。その後、復学したのですが、肝炎を患い、慢性化してしまいました。
 健康になりたい一心で医師を志し、大阪大学医学部に進みました。ところが慢性肝炎は治らず、大学3年のとき、十二指腸潰瘍、大腸炎、胆嚢胆道炎まで患って、大阪大学附属病院に入院することになりました。当時の最先端治療を受けても、病状はいっこうによくなりません。そして、主治医にこう言われたのです。
「甲田君。いつまでもこんなとこで治療を受けるよりは、家に帰ってのんびり養生したらどうや」。

 甲田医師は、現代医学でだめなら民間療法で治らないかと、いろいろな本を読みあさりました。そして知ったのが、断食療法です。試してみたいと思って主治医に相談したら、「断食したら死んでしまう」と、ものすごくしかられました。

 覚悟を決めて、生駒(奈良県)の山に登り、11日間の断食をやりました。この断食で甲田医師の体は回復していったのです。繰り返し行えば、病気は治るかもしれないと、甲田医師は希望を持ちました。そして、断食には、現代医学でまだ解明されていない深い真理が秘められていると体で感じ取ったのです。
 それからは、大学で現代医学を学びながら、何度も断食を行い、少食にも取り組むようになりました。どうして食を断つことでこんなに元気になるのか、医学的に解明しようと、甲田医師は考えていました。

 ただ、最初から少食を実行できたわけではありません。食事を減らすと、体が回復していくのがよくわかりました。ところが、しばらく続けると、甘い物が食べたくて、たまらなくなるのです。食べるとてきめん、体がだるくなります。
「これはいかんと、もう今日から甘い物は食べないことにすると決心するのですが、1カ月もたたないうちに、あんころもちを3つも4つも食べてしまう。そんな失敗ばかりです」

 医者をやめて死んでしまおうと思い詰めたこともあったそうです。そんなときでも、「待てよ。どうせ死ぬのやったら、その前に腹いっぱいぜんざいを食べておこう」と思う始末です。

 甲田医師自身がさんざん苦労して、「少食にしなければならない」と自分を縛るのではなく、「少食になりたい」という思いを強くすることがたいせつだと気づきました。やがて、食べ物への執着が消え、1枚の葉っぱ、1粒の米も、感謝して食べなくてはならないと、実感としてわかるようになったそうです。

心と体を蝕む
「宿便」

 私たちは、「今まで健康だったのが一変して病気になった」と思いがちです。ただ、甲田医師によると、病気は突然かかるものではありません。「宿便」をためる生活を続けて、その結果として病気になるのです。
 宿便がたまってくると、心と体の症状が現れます。
□いつも疲れた感じがして、手足が冷たい
□頭がスッキリせず、体のあちこちにしょっちゅう湿疹ができる
□取り越し苦労が多く、余裕がない

 宿便とは、腸管内に滞った物の総称です。
 胃腸の消化能力を超えて食べ物を取ると、食べ物の一部がうまく消化されず、腸管内に残ってしまいます。これが宿便です。
 人間の体は、口から肛門まで、消化管という管が1本通っています。いつも大量の食べ物を摂取していると、消化管の途中で詰まりが生じてしまいます。車の量がふえすぎると、道路が渋滞することと同じです。

 腸管が長く伸びたり、横に膨らんだりして、宿便を収容します。そして腸内細菌の出す酵素(化学変化を促す物質)が、宿便を分解するのですが、食べすぎが続くと分解が追いつきません。やがて腸管が垂れ下がって、腸管どうしや、腸管とほかの組織などが癒着し、腸管の動きが鈍くなるのです。これを甲田医師は「腸マヒ」と呼んでいます。

 腸マヒがあると、腸管を内容物が通過できなくなり、宿便がさらにたまってきます。また、宿便が分解される中で発生した有害な毒素が、体内へ吸収されてしまいます。そして、毒素が血液の中へ入り、体じゅうの臓器へと運ばれます。結果、全身の倦怠感やアレルギー症状、肩こり、頭痛、肌荒れ、ひどい口臭など、いろいろな不快症状が出てきます。「宿便は万病のもと」といっても過言ではありません。

 道路の渋滞を解消するために、車両の通行を制限します。これと同様に、宿便の解消には、食べ物が消化管に入ってくるのを止める、あるいはへらすのが効果的です。断食で宿便が出るのは、モチリンという消化管ホルモンが、空腹時にたくさん分泌されるためです。モチリンは「腸管の掃除屋」で、腸管の運動を活発にして腸の内容物を下部に移送し、早く体外に排せつさせます。

 宿便が出ると、症状は劇的に好転してきます。甲田医師は、難病の患者さんがどんどん治っていく姿を見ながら、現代医学ではまだわからない真理がある、断食療法は間違っていないと確信しました。

 犬や猫などの動物は、体の調子が悪くなると、日ごろの好物でも食べなくなります。これは食べ物を断って自然治癒力を高め、体調を回復させる大自然の計らいに従っているわけです。

 人間も、体調をくずして高熱が出ると、通常は食欲が落ちてくるものです。ところが、食べないと栄養不良になり、弱ってしまうと考えます。食欲がないのに無理して食べるから、ますます体がだるくなって、治る病気も治らないのです。

 食欲のないときは、大自然の計らいにすなおに従って食べない。
 また、食欲があっても、積極的に食を減らす。
 すると、自然治癒力が高まり、体が疲れなくなって活力がわき、頭がさえて、なんともいえないくらい気持ちのいい生活を送ることができるのだそうです、「少食に病なし」と甲田医師は話しました。

自由と安らぎを
得るための少食

 今の日本は景気がそれほどよくないと言っても、食事に困ることはそれほどないでしょう。スーパーにはさまざまな食材が並び、コンビニには24時間手軽に食べられる物がそろっています。
 それなのに、どうして食事を減らさなければならないのか。少食とはなんて不自由な生活だろうと思ってしまいます。

 甲田医師は逆に「自由ってなんやと聞き返したい」と言っていました。

 食べ過ぎた結果、病気になることこそ不自由です。自分がやりたいことをできないだけでなく、家族や周囲の人たちにも、大きな迷惑をかけることになります。
 食事で得られる満足は、一時的なものです。もっとおいしいものを、もっとたくさん食べたくなり、際限がありません。けっきょく私たちは、いくら食べても満たされないから、つらくなってしまうのです。

 人間には、単に栄養とエネルギーを得るためだけでなく、おいしい物をたくさん食べたいという欲望があります。この欲望から解放されることで、自由と安らぎが得られるのでしょう。
 しかし、食欲が私たちを振り回す力を、甲田医師自身、身をもって痛切に知らされてきたと言います。
 「少食を成功させるために、食べたらあかんと自分を縛るのではなく、食事をいただくことに感謝の気持ちがなくてはなりません」

 少食は、体の本来の機能を働かせる正しい量の食事です。とはいえ、病気になりたくないから、健康にいいから、やせたいからという理由だけで少食に取り組んでも、長続きしにくいものです。
 少食にすれば、未来はどう変わるのか、想像してみましょう。少食で食費が削減でき、家計は助かるし、調理や献立作りにかかる時間と労力をへらせます。そしてガスや電気などのエネルギーをあまり使わないので、地球の環境を守ることにもつながります。

 日本の高齢化は進んでいますが、少食でいれば年を取ってからも、寝たきりや認知症になることはありません。日本じゅうに広まれば、医療費はぐっとへるはずです。

 日本では飽食と肥満が問題となっていますが、世界人口の約8分の1に当たる8億の人々が、飢えに苦しみながら暮らし、多くの子どもたちが命を落としています。少食が世界じゅうに広まれば、食糧不足の心配はありません。

 少食で、人間の命も、動物の命も、植物の命も、地球の資源もたいせつにすると、すべての生き物と共生・共存ができて、ほんとうの意味で幸せで平和な時代になる。甲田医師はそう話していました。

誰にでも断食や少食を
勧めていたわけではない

 取材で初めて甲田光雄医師に会ったときのこと。甲田医師は私の顔を見てすぐに「あんたは、これまでずいぶん食べてきたなあ。もう、そんなに食べんでもよろしいやろ」と言いました。
 当時の私は、見た目にはやせていたのですが、ものすごくお酒を飲んでいたし、甘い物も肉類も大好きでした。太りたくないから、スポーツクラブに通って激しく運動し、摂取した糖質・脂質の吸収をカットするサプリメントを摂取していました。
 そんなことはまったく話していないのに、甲田医師にはなぜかわかってしまったようです。大量に食べて、太るのを恐れて、大量にエネルギーを消費して……あんたはなにをやっているんですかと甲田医師は思ったのでしょう。

 甲田先生は誰彼かまわず「断食してみなさい」「少食にすればなんでも治る」と言っていたわけではありません。
 ライターを同行して何度か甲田医師を取材したのですが、40代の男性のライターには「あんたは、今は断食せんほうがいいなあ」と話していたのです。
 男性ライターは中肉中背。テニスが趣味で、東京から大阪に出張できるぐらいですから、特に健康に問題はなかったはずです。
 心身がスッキリする、五感がさえるなどの断食の効果に、彼は強く興味を示していたのですが、そんな彼よりも私のほうに甲田医師は断食を強く勧めました。

 甲田医師は、訪れてきた人を観察して、今まずやるべきことを伝えていました。そして、顔を見るだけでなく、手のひらやおなか、背中を見て、触って、診断していました。血圧や血糖値といった数値に頼るのではなく、人全体をじっくりと見ていたのだと思います。
 甲田医師は私の顔だけでなく手を見たときも、「やっぱり食べすぎや。宿便もたまっておる」と笑っていました。

少食で
運命も変えられる

 甲田医師は、若い頃にいろいろな人から手相を診断してもらったそうです。当時、甲田医師の手相を見て、誰もいいことを言わなかったとのこと。「50歳まで生きられないかもしれない」と言った人さえいました。しかし、甲田医師は83歳まで長生きしたので、こうした手相診断は外れてしまいます。

 甲田医師の手相を見た人が、いいかげんだったわけではありません。若い頃の甲田医師の手相が、たいへん悪かったのです。特に右手は、生命線が薄くて短くて、途中で2カ所も切れていました。
 実際、甲田医師は、しょっちゅう重い病気にかかっていたのです。中学生の頃から慢性肝炎で、大学生のころは十二指腸潰瘍、大腸炎、胆のう胆道炎を患ってしまいました。

 しかし、断食を何回も繰り返した結果、甲田医師の体はみるみる回復しました。
 私が甲田医師の手を見せてもらったときは、手のひらはきれいなピンク色で、生命線も頭脳線も感情線もスッと長い、見事な手相でした。
「手相は変わる。健康になりたいと思って食べすぎをやめれば、手相は変えられる。すなわち、自分の運命は自分で変えられる、ということですな」

子どもに生菜食や
少食を押し付けてはいけない

 私は取材時に、子どもが生菜食や少食を行うことについて、甲田医師に尋ねたことがありました。
 すると「9歳になるまで、普通に3食食べさせたほうがいい」という答えが返ってきたので、びっくりしました
 私が期待していた答えは「小さいうちから、生菜食や少食はやらせたほうがいい。今、社会問題になっている子どもの肥満や不登校も、食べ過ぎが原因だ」だったからです。

 甲田医師の話では、両親が生菜食や少食を続けて、ああー体調がいい、気持ちがいいと実感していれば、そんな親の姿を見て子どもは「自分もやりたい」と言い始める。そのときから、親子でいっしょに生菜食や少食を行うのがいいそうです。
 子どもが分別がつく年齢になってから、子どもの自主性に任せて、生菜食や少食を始めさせることになります。親が子どもに押し付けてはいけないということでしょう。

医師であると同時に
研究者だった

 甲田医師が初めて断食を行ったのは、1950年です。それからは甲田医師自身が食欲と戦って断食や少食を行い、さんざん苦労してたどり着いたのは、少食や断食は生やさしいものではないということでした。
 そして、甲田医師が考案したのが「半日断食」でした。

 甲田医師は、断食の歴史だけでなく、最新の医学研究まで、精通していました。話を聞くと、立て板に水というのでしょうか、1時間ほどずっと、あの「甲田節」で少食や断食の情報を話してくれました。
 そんな甲田医師のもとには、医師や大学教授、研究者、雑誌や書籍の編集者が多数訪れていました。最新情報は、さまざまな人との交流の中でもたらされていたのでしょう。

 加えて、患者さんも多数訪れていました。半日断食などを指導すると同時に、患者さんの体調を調べ、変化を記録していました。患者さんの体質や生活スタイルも把握していました。
 こうしたデータを重視しつつも、患者さん自身を診ていたのだと私は思います。甲田医師は、患者さんの顔や手を見て、背骨にも手を当てていました。

 医学情報から患者さんたちのデータまで頭に入れたうえで、甲田医師が一般的なやり方として指導したのが半日断食なのです。

○半日断食の基本的なやり方
朝 青汁(5種類以上の野菜をミキサーでかき混ぜて作るドロドロのジュース)
昼 玄米ご飯、豆腐、ゴマ
夜 青汁、玄米ご飯、豆腐、ゴマ、野菜・海藻・豆類・小魚類の中から1品
※生水や柿の葉茶を、1日合計1.5~2リットル飲む
※間食・夜食は行わない

「出す」ことを
最重視する

 以前は「朝食を取らないと健康に悪い」「成績が下がる」などと、朝食を抜くことが悪と考えられていました。それが最近では、インド医学などの「午前中は排泄の時間なので、排泄を邪魔しないように朝食は取らない」という考え方が広まっています。甲田医師が話していたのも、まさにこのことでした。

 人間の体は、口から肛門で、消化管という管が1本通っています。消化管が渋滞することが病気の原因なので、食物を取らずに便を出すことを優先します。消化管の詰まりを洗い流すために、生水や柿の葉茶で水分を摂取することは大事です。

 ここからは、私個人の考えです。
 まずは、朝は青汁などの野菜ジュースを飲むようにして、昼食と夕食の量を控える。
 食材は、穀物も野菜も肉も魚も、丸ごと食べるようにする。例えば、ぬかを取り除いた白米ではなく玄米。野菜は根も調理。魚は、頭から尾まで食べられる小魚。
 間食と夜食はやめる。
 水を飲むように心がける。
 毎日、気持ちのよい排便があるか、確認する。
 こうしたことから、半日断食を始めてはどうでしょうか。
 なお、朝の野菜ジュースについては、胃が弱っている場合、繊維も丸ごと飲む青汁やスムージーだともたれて気持ちが悪くなることもあります。胃のもたれや不快感があれば、ザルなどでこして繊維を取り除いたり、ジューサーを使ってジュースを作ったりするといいでしょう。

 断食で、多種類のサプリメントを使用することを勧めている人もいるようです。カロリー摂取を控えて栄養素だけを取り入れるという考えに基づくのでしょうが、このやり方は、きっと甲田医師は推奨しないと思います。
 理由は「不自然で感謝の気持ちが湧かない」「金がかかりすぎる」ということ。
 甲田医師は、食べるということは、植物や動物の命をいただくこと。感謝して食べなければいけないと話していました。植物や動物の姿が影も形も残っていないサプリメントに対して、感謝の気持ちは抱けないでしょう。
 さらに、大阪の人らしく「半日断食で、食費も、料理する時間も節約できる」と力説していました。一方、サプリメントで断食している人から直接私は話を聞いていないのですが、近しい人たちの間で「1カ月分でかなりお金がかかるらしい」とうわさが立っていました。

 健康効果を求めて断食や少食に興味を持つ人はたくさんいるでしょう。すがるような気持ちで断食や少食を始める場合もあるはずです。
 しかし、甲田医師は誰にでも断食や少食を勧めたわけではありませんし、やり方についても甲田医師の理屈があります。甲田医師の考えは書籍の中に細かく書かれているので、ぜひ一度読んでから断食や少食に取り組んでほしいと私は思います。
 甲田医師は「半日断食を行うこと自体が楽しくなってくるんです。そして、たくさん食べなくても満足できる体に変わるんです」と語っていました。

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医師の世界の派閥争いや治療方針の理不尽な決め方、無駄な忙しさゆえの情報不足

『傷はぜったい消毒するな』(書/夏井睦 光文社文庫)を3回ほど読み直しました。
この本については、サブタイトルの「生態系としての皮膚の科学」について書かれているため、湿潤療法を詳しく知りたい場合は『キズ・ヤケドは消毒してはいけない』(書/夏井睦 主婦の友社)をお勧めします。

『傷はぜったい消毒するな』「はじめに」の一文を紹介します。
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普段何気なくしていることや、皆がしているので特に気にせずにやっていることの中には、よく考えてみるとなぜそれをしてるのかわからないものが結構ある。
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この本で印象的だったのが、夏井医師が外科から形成外科に移ったときに「外科の非常識」が「形成外科では常識」だったこと。
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例えば、外科では抜糸をするまで傷は絶対に濡らすなと教えられていたが、形成外科では手の手術後は翌日から消毒薬を入れた水道水で手術創を洗うのだ。
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また皮膚科は非常に古い歴史があり、「皮膚科は軟膏で治療」「軟膏で治療するのが皮膚科」という常識があると推論されています。
そのため、軟膏を塗っても治らない症状は「慢性湿疹」と名付けられ、治らない病気だから治らなくて当たり前で、治療法や薬はおかしいとは感じなくなるし(結果として治らないのは患者のせいにする)、新しい発想も生まれないと書かれていました。

人気ドラマの『ドクターX ~外科医・大門未知子~』でも、上記のような医師同士のやり取りはおもしろおかしく描かれていました。脚本家の中園ミホさんは“取材の中園”と呼ばれているようで、医師の世界には派閥争いや治療方針の理不尽な決め方、無駄な忙しさゆえの情報不足は実際にあるのでしょう。

現在、『傷はぜったい消毒するな』第11章の11~13を読み返しています。
自分が『ふろに入らないほうが美肌になる』の第1章に書いたことと関係が深く、しかも夏井医師が臨床医で専門家としての目で解説されています。
角層の傷と表皮以下の傷について、もう少し調べてブログに書ければいいなあと思っています。

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「iチャネル」で、『ふろに入らないほうが美肌になる』が紹介されます

NTTドコモの「iチャネル」という情報配信サービスの「雑誌チャネル」で、『ふろに入らないほうが美肌になる』が7月4日から約1カ月間、紹介されるようです。

Magabon

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