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タイトル未定ですが、隠れた心の問題に手のひらと足の裏を手掛かりにして気づく方法をまとめます

 本を作るという作業で、私はいつも『鶴の恩返し』を思い浮かべます。自分の羽を抜いて機を織る。ブチ、ブチ、ブチ……
 今年は本を3冊作って私なりにがんばったから、これからは売るほうに力を入れようと思っていました。しかし、今年に入って世の中では様々な事件が起こり、私自身については潜在意識について取材する機会がありました。「幸運も不幸も出てくるブラックボックスの存在を子どもに教えたい」「言葉ばかりで思考・分析しないほうが自分らしい答えが見つかる」とブログに書いたとおりです。
 また、私は10年ほど前に会った鍼灸師のおじいちゃんから、隠れた体の症状と心の状態を手相で知るという資料を託されていました。資料を埋もれさせておくのも気が引けます。それにさまざまな治療家から、やはり隠れた体の症状と心の状態が足の裏でわかると話を聞いてきました。
 隠れた心の状態=ブラックボックスについて子どもに教えたいと思うのなら、私が受け取ってきた情報を整理するしかないという気持ちになっています。気力や体力がなくなると、ブチ、ブチ、ブチと本を作ることはできなくなりそうですし。
 『発達障害の改善と予防』で著者の澤口俊之氏が「ブログの性質上、体系的な話をするのも困難です」と書かれていました。私も同様に感じています。
 伝えたいのは「思考・分析は非常に重要であると同時に、ブラックボックスの存在を知り、自分自身を含めた人間の意識を知ってほしい」ということ。加えて、潜在意識を謳った書籍やセミナーのインチキさに気づくスキルを子どもに身に着けてほしいと思っています。

手のひらと足裏には
隠れた問題が示されている

 手足を刺激して体調を改善をさせるリフレクソロジー、反射療法といった健康法は、健康雑誌や書籍で多数紹介されてきました。手足には、自覚している不調だけでなく隠れた問題も現れていると言われています。例えば、足の土踏まずをもんだときにジャリジャリしたしこりがあるときは、胃腸に問題があり、本人は平気と思っていても内臓にはダメージがたまっていると考えられています。
 私が21年間仕事をしてきた経験で、手のひらから短期的な不調、足の裏からは長期的に蓄積した不調がわかるととらえています。食べ過ぎや飲み過ぎが続くと手のひらの親指のつけ根の膨らみに青い血管が浮かび上がり(怒張)、それで胃腸や肝臓にダメージが与えられると足の土踏まずにしこりが現れるという関係です。
 手のひらで体調を知るには、手相が大きな手掛かりとなります。これは鍼灸師のおじいちゃんから託された資料に書かれていました。運勢は体調の影響を大きく受けます。生命線のカーブが大きいほど長命だと手相で言いますが、手のひらの親指のつけ根の膨らみは胃腸と対応していて、消化力が弱い人は短命になるわけです。
 ちなみに、感情線や頭脳線も循環器系・神経系と対応しているのだそうです。感情線が乱れていれば、占いだとほれっぽいとか束縛したがるなどと判定します。体の面では血圧に異常があり、精神的に不安定な状態と考えられるのです。
 手のひらで注目したほうがいいのは、もともとの線の長さや丘の豊かさよりも変化。細かいシワが増えて線がぼやけてきた、色がまだらっぽくなってきたなどは、自覚していない心身の変化の現れ。手のひらを見る習慣をつけることで、潜在的な問題にも気づける可能性があるのです。
 そのほか、手のひらのマッサージをカウンセリングに使っているおじちゃんにも会ったことがあります。特に若い人の場合、問題を抱えていても大人に話したがらない傾向があります。それで、おじちゃんは手をマッサージするのだそうです。おじちゃんは相手の手をマッサージすると、相手の心と体の状態がわかるとのこと。マッサージ中におじちゃんから話すことはほとんどありませんが、「実は……」と相手のほうが話を切り出すことがあるようです。しかし、話をしてもしなくても、手のひらをマッサージしていれば、問題はなんとなく解決に向かうのだそうで、カウンセリングと言っても言葉はいらないみたいでした。
 足については、見た目には手ほど変化がはっきりとわからないので、触って確認するのが適していると思います。ちなみに私が「最高のリフレクソロジスト」と思っている人は、触らずに見て、においをかいで、その足の持ち主の心身の状態がわかるのだそうです。達人というか超人的です。
 「足裏で自己診断する」というセミナーを私はお手伝いしたときがあり、たくさんの人の足裏を見る機会に恵まれました。足の形といい、指の長さといい、皮膚の状態といい、足の裏は個性豊かです。とてもきれいな女性が、意外にも角質だらけでいびつな形の足をしていたこともありました。彼女はケアをしてもすぐに角質が厚くなるそうで、達人というか超人の話では足のケアだけでなく心身の問題に気づくのも大事とのこと。
 達人の域に達するのは時間がかかりますが、素人の私でも足裏をもんでいると数カ所、「コリコリして、なんだか気になる」「ぶよぶよしている」という部分はわかります。こうした感触を手掛かりに、反射区を使って心身の問題を掘り下げて考えることはできるでしょう。

もんでいるだけで
問題が解決する可能性もある

 ただ、手のひらマッサージのおじちゃんと同様、足の裏ももんでいれば自然と問題が解決する可能性も高いと言えます。
 私が徹夜に近い状態で仕事をした後に足裏マッサージを受けたときに、都会の一室にいたにも関わらず、まぶたの裏に大平原の映像が見えたことがあります。あまりにもはっきりとした映像で、びっくりしてしまい、そのタイミングで映像は消えました。
 アメリカの博士が前世療法について書いた本で、マッサージを受けているときに前世が見えたという内容がありました。
 そんなこんなで、マッサージにはブラックボックスにアクセスする効果というか、なにかがあるという手ごたえを感じています。この現象は手のひらではなく足裏へのマッサージでなければ現れないという気もしています。
 過去の私の仕事では手のひらや足の裏をもむ特集を組んだときには反射区ありきだったのですが、これからは私が残したいことを中心に「ただ足の裏をもむ」という手法も含めて1冊にまとめたいと思っています。どれだけ自分の羽を抜くことになるのか、どれだけ時間がかかるのかわかりませんが。

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マスコミの端くれとして、情けなさを実感

 今日知ったのですが、「成功者」として以前取材した女性が、詐欺まがいのことを行っていたようです。彼女は30代で年商14億を達成したらしく、自己啓発系の「成功本」を6冊も出版していました。
 私が彼女を取材した後には、メールが頻繁に届き、その内容は出資しませんか的なものでした。「すごい事業なら、私みたいに1回しか会ったことのない人にまで勧誘する必要がないはずだけど」と思って、メールはきちんと読みませんでした。
 そして彼女のことをすっかり忘れていたのですが、自分の過去の仕事を検索したら名前が出てきて、事業が中途半端なまま、資本金が400分の1にまで減っていたこともわかったのです。
 彼女は服装やメイクなどが華美なアパグループの女社長のような外見ではなく、どちらかといえばシックなキャリアウーマンの雰囲気でした。話をしたときも「私とは年齢がそれほど変わらないのに、さすがだなあ」という印象。
 しかし、もしかしたら彼女も「見た目ではわからない、言っていることが全部ウソ男という話」と同類の人間だったのかもしれません。
 ちなみに、詐欺で実際につかまった臼井弘文氏も、私は取材したことがあります。臼井氏は富裕層の研究を行い、自分も富裕層ということで自著を書いていました。逮捕されている臼井氏の姿をテレビで見て、私はものすごくビックリしました。と同時に、「こんな奴を取材して、記事にしてしまうなんて……」と情けない気持ちになっていました。
 大学時代には「マスコミは情報のゲートキーパー」なんて教わっていたのですが、マスコミにも私程度の人間がウジャウジャいます。ヒトラーは「大衆は小さなウソより大きなウソの犠牲になりやすい」と言っていますが、まさにそのとおり。「資本金を4億3957万円」「プライベートジェットを所有」などなど、自分の生活とかけ離れたウソには翻弄されやすいものです。
 本をたくさん出しているから、けた違いのスケールだからといって、思考を停止して信用しないでください。私も気をつけます。
 
 

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意識のブラックボックスの話をもう少し

 20歳前後の頃を振り返れば、私はおかしな言動をしていました。
 大学のサークルの合宿で富士湖畔に宿泊したときに、私は先輩が持ってきたお菓子を盗み食いしていたのです。合宿地にはコンビニがあるし、先輩のお菓子はどこにでも売っているものだし、私もお菓子を買えないほどお金がなかったわけでもないので、盗み食いをする必然性はありません。しかし、私は盗み食いを何度も行って、それがやめられませんでした。
 そして、その様子を先輩に見つかってしまいました。先輩はひどく驚いたのですが、見て見ぬふりをしました。その後、ほかの先輩と私のところに来て、たくさんのお菓子を広げて「一緒に食べよう」と言ってくれました。それが猛烈に恥ずかしかったことを覚えています。
 今思うと、私はそのサークルで居場所を見つけられず、かといってやめることもできず、合宿不参加などとも割り切れず、悶々としていました。
 悶々としていたから他人のお菓子を勝手に食べていいわけではありません。それに好きでもない安いお菓子を、のどから手に入るほど欲しいわけでもないのです。
 これが私のブラックボックス体験の一つです。
 就職した後も、男女関係で不可思議な行動をしていたように思います。好きかどうかもわからない男とモメたことは、けっこうありました。別れた男の部屋に電話をかけまくったこともあります。
 食べることや異性など欲望に関する言動ですが、私が本当にそれを求めたのかと言うと違うのです。ただただ、ブラックボックスから出てきたことに振り回されていました。
 私が盗みやストーカーで捕まらなかったのは、一線を越えなかっただけのこと。コンビニで盗み食いをしなかったことや、ストーカー一歩手前で踏みとどまったことは、自己保身の学習があったからかもしれません。
 善悪はわかっているし、快感や満足を得られないことも頭では気づいているのに、止められなかったおかしな言動。決して教育や親のしつけの影響ではありません。
 私も年齢を重ね、経験を積むことでブラックボックスの存在にうっすらと気づくようになりました。
 人間とは面倒くさい生き物だと思っています。

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幸運も不幸も出てくるブラックボックスの存在を子どもに教えたい

誰もが加害者や
被害者になる可能性がある

 22歳の俳優が、強姦致傷罪で逮捕されました。彼の母親は著名な売れっ子女優。ですから彼自身の俳優生命が絶たれただけでなく、母親の仕事にも悪影響が及ぶと思われます。被害者はもちろん、加害者本人も取り巻く人々もみんなを不幸にするという結果となりました。
 女手一つで苦労しながら育てた息子が、ようやく社会人になって安心していたら犯罪者になってしまうとは……。母親である女優のことは、私も息子がいるので他人事ではありません。
 日々の生活で、自分が犯罪の加害者・被害者になるかどうかの紙一重の出来事は何度か起こっているものではないでしょうか。
 私は20代の頃に、被害者になっていた可能性もあるような経験をしています。会社の上の人とお酒を飲んだ帰り、当時住んでいた三鷹の駅で降りて信号待ちをしていたときに、若い男性に声をかけられたのです。「電車で見かけてからずっと後をついてきたんですけど、気づきませんでしたか?」
 その男性は酒を飲んでいたようですが、意識ははっきりとある様子。私自身も目上の人と飲んでいたので、酔っ払ってはいませんでした。私はその男性とやり取りし、定期を見せられて彼が高尾駅を使っている会社員とわかりました。けっきょく、私は朝まで営業している居酒屋にその男性を連れて行き、トイレに行く振りをして逃げ帰りました。
 もしもその男性が私をつけて部屋まで侵入していたら、私は犯罪の被害者になっていたかもしれません。
 その男性にしても、きっちりとスーツを着た若いサラリーマンでした。話し方も普通。私の後をついて来る途中で声をかけたり、居酒屋で逃げられたりしているわけですから、常習犯とは考えにくいものです。
 今思うと、その男性は魔が差したのではないでしょうか。毎日、ケンカやスリ、痴漢が多発する中央線で高尾駅から神田駅まで長距離通勤し、仕事やプライベートなどでストレスを抱え、ふと満員電車で見かけた見知らぬ女性(私)の後をついて来たのでしょう。付き合いたいとか、襲ってやろうとか、そんな理由もなく。
 私は中野に住んだこともあるのですが、その頃にも似たような経験をしました。
 ですから、22歳の俳優が特異なケースではなく、ストレスフルな状況下で誰もが加害者になる可能性があると思ってしまうのです。そして、芝居に熱心だったりバラエティ番組で天然キャラの好青年だったりする彼も、女性を襲ってしまった彼も、1人の人間の中に含まれるわけで、「好青年を偽っていた」「二世だからロクでもない」「常習犯に違いない」という世間一般の考えに私は否定的です。


ブラックボックスの存在を
子どもに伝えたい

 先日「言葉ばかりで思考・分析しないほうが自分らしい答えが見つかる」というタイトルのブログで、意識の中のブラックボックスの存在について書きました。
 「魔が差す」行動も、ブラックボックスの中から出てくるのかもしれません。自分でもアッと驚くような画期的なアイデアも、自分もみんなも不幸にする理不尽な欲求も、言葉で説明しにくいものです。むしろ言葉を使うと屁理屈をこねることになったり、状況をゆがめたりすることにつながったりします。殺人の動機を「太陽がまぶしかったから」と語る『異邦人』(カミュ)のほうがしっくりくるのは私だけでしょうか。
 言葉で説明しにくいブラックボックスについて、その存在だけでも子どもたちに伝えておくことは必要だと、今回の事件で感じています。
 話題が飛躍しますが、忍者は重要な術を書物に書き残さず、口伝えにしたそうです。その理由は「他の流派に書物を奪われることを恐れた」だけでなく、ほんとうに大事なことは言葉で説明し切れず、体で覚えさせたのではないかと。「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」(山本五十六)ではありませんが、五感を総動員させて術を伝えたのだと思います。
 ある医師に取材したときに、自覚できない深い意識は体を通してメッセージを送ってくると聞きました。カゼや骨折などの病気・ケガは、深い意識で「現状はよくない」と察知したことを体で伝えているのだそうです。自覚できる意識は言葉を使った思考と分析で忙しく、屁理屈をこねたり状況をゆがめてとらえたりするのですが、体は正直なようです。
 また、リフレクソロジーにも詳しい看護師に取材したときには、手のひらや足の裏に内臓の状態が反映されるのだが、内臓の状態は自覚できない深い意識に影響を受けると聞きました。自分で気づかない、あるいは知らぬうちに否定している悲しみを抱えていると、肺に影響して呼吸が浅くなり、手のひらや足の裏の「肺」の反射区にしこりなどが現れるというわけです。
 上記のことから、普段から自分の手のひらや足の裏を観察する習慣をつけることで、体を通して深い意識を探ることができるかもしれません。
 もう一つ、占いにも効用があるのではないかと思いました。私が書いている「誕生数占い」だけでなく占星術も四柱推命も、人間は人知を超えた存在から大きな影響を受けているという前提がありません。人知を超えた存在とは、ブラックボックスと言い換えることもできるでしょう。占いが当たる・当たらないはさておき、人知を超えた存在=ブラックボックスの存在を子どもに伝えるには占いという手段もあるはずです。ただし、占いを妄信しないようにさせる細やかな注意が必要ですが。

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理想の「女性用トランクス」を作ります!

最近、小学生の娘が「またがかゆい」「痛い」と訴えました。
私が見てみると、真っ赤に腫れています。
「ああ、これは蒸れて下着とこすれたのだな」とわかりました。

そもそも、女性のパンツは理にかなっていません。
陰部は蒸れるし、鼠蹊部は圧迫されるし、健康によくないと思ってきました。
そこで娘にトランクスを買ってあげようとインターネットで検索したのですが、女児用トランクスは見つかりません。
けっきょく女児用ステテコを入手し、おふろ上がりから翌朝までパンツをはかせずにステテコだけ着用させ、出かける前にパンツをはかせるようにしました。
これで娘の症状はすぐに解消しました。

ただ、私の不満は収まりません。
「どうしてパンツは通気性が悪いデザインなんだ!」「これじゃ症状が出るほうが当たり前だ」とイライラ。
さらに女性の用のトランクスを検索しても、ぴっちりして通気性が悪かったり、えらく高かったり、私が望むものがありませんでした。

ついに「自分で作るしかない!」と思い立ち、ミシンを注文。
娘が保育園に入園する頃に先代のミシンが壊れて捨てたので、実に6年ぶりのミシンです。
そもそも私は裁縫が嫌いです。
それでも「自分で!」と思った理由は、高校生のときにパジャマを作った経験があったからでした。
下着は人に見せないし、適当でいいだろうという甘さもあります。

ミシンが届く前に生地を買ってきて、まずは手縫いでふんどしを作りました。
ふんどしと言っても長い一枚布をひもで縛って留める伝統的なタイプではありません。
へそ下から腰までの長さ、手ぬぐい程度の幅に布を切って、サイドはほつれ止め、天地(?)はひもを通せるようにした簡易版です。
作り方は以下を参照しました。
実際に着用すると、「うーん、寝るときだけならいいけど、これをはいて外出する気分にはなれなさそうだ」と思いました。
私がはき続けているズボンはデザインが古く、また上が浅め。パンツがちょっと見えて注意されることも多く、ここでステテコを見られるのは避けたいと。
そもそも寝るときだけなら、娘と同様、パンツをはかずに寝ればいいわけです。

そんなこんなで、トランクスの作り方などをネットで調べていたらミシンが到着。
早速作ってみようと思います。


●私の理想のトランクス
生地 凹凸のある綿、下着とわからないような色・柄
 へそが隠れる高さから足の付け根まで
ウエスト ステテコと同じく緩くゴムを入れる(レースのゴムや男性用のような幅広ゴムは使用しない)
デザイン 体にフィットしない

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言葉ばかりで思考・分析しないほうが自分らしい答えが見つかる

悲観的で注意深い人間が
私たちの祖先

 人間の長い歴史を振り返ると、今の日本のように安全で便利な時期というのはごく短いものです。
 今から600万年前から400万年前までの間に、人類は誕生したと言われています。古代文明が生まれたのは5000年ぐらい前のことで、産業革命が起こった200年ほど前から世界人口は爆発的に増えました。人口が増えたということは、人間が命を落とさずに済むような安全な時代になったと言い換えられるでしょう。
 そう考えると、人類の600万年という歴史の中で、安全に暮らせるようになったと考えられる期間はたったの3%に当たる200年。つまりは、人類はほとんどの時間を危険と隣り合わせで、厳しい自然環境の中で動物・細菌といった敵と戦いながら生活したのです。
 人類は当然用心深くなりますし、いつも最悪の事態を想定して行動してきたでしょう。逆を言えば、のほほんと楽観的な人間は早くに命を失い、悲観的で注意深い人間だけが生き延びられたということです。
 茂木健一郎氏が訳した『脳にいいことだけをやりなさい。』にも同じことが書かれているそうです。

怒りなど悲観的な思考回路で
他人と争うのが人間の歴史

 人間のデフォルトが悲観的な思考回路で、ほうっておけば現実を見ずに将来の不安にとらわれてしまう存在です。悲観的な思考回路で生まれる不安や心配、イライラ、怒りなどの感情で心を病み、他人と争って、挙句の果てに戦争を起こしてきたのが人間の歴史なのでしょう。
 こうした傾向に気づいた人が「汝、殺すなかれ」「汝の隣人を愛せよ」と教えたことが宗教の発生につながったのではないかと、私は思っています。
 悲観的な思考回路は表面的な意識で、奥底では野生の動物たちと同じように「もっと生きたい」「子孫を残したい」という強い本能があるのではないでしょうか。そして本能とともに、自分が生きるためや弱い存在である子どもや孫を守るために他者と共存したいという本質的な欲求があるのかもしれません。本能や本質的な欲求が潜在的な意識にあり、宗教儀式で行わる瞑想、座禅、内観、荒行などは潜在的な意識に近づくための手段だと私は思います。

悲観的な表面意識の奥底まで
アプローチすることが修行であり健康法

 表面的な意識にある悲観的な思考回路をストップさせて、潜在的な意識に近づくことは健康法にも取り入れられています。そもそも健康法は宗教から派生したものが多いので、当然と言えば当然のことです。
 野口整体の「天心」は意識的に無心になることを指していて、まさに潜在的な意識へのアプローチだと私は思いました。また「活元運動」に意識せずに出てくる体の動きで、潜在的な力を引き出していると考えられます。
 甲田光雄医師についても、私が仕事をさせてもらった中では仏教の言葉を引用していました。「病気が怖いから、病気が嫌だから少食にする」という不安や嫌悪、恐怖といった表面的な意識では、少食が長続きしないし、効果が上がらなかったのでしょう。根本的な「人が生きるとは」「死ぬとは」といった部分にまで踏み込むことが、真の意味で治療効果を生み出すと甲田医師はとらえていたのではないでしょうか。

根が腐ると木が枯れるように
潜在意識を無視しても健康になれない

 最近私が取材した医師は、人間を木にたとえると、幹や枝葉が表面的な意識や心、体に当たり、根っこが潜在的な意識に当たると説明していました。根が腐れると、木は枯れます。根から養分が吸い込まれなければ、枝葉は茂りません。
 潜在的な意識にアプローチしなければならないという点で、私は自分の父親が死んだときを思い出しました。肺がんを患っても自らドライブできるほど活動的であると同時に、抗がん剤治療を嫌がって、けっきょくは自殺しました。根っこの部分にアプローチしなければ、活動的でも治療を受けても、人間は生きていけないのではないか。医師を取材しながら、私はそう思いました。
 私の知り合いは、持病を克服したいからとさまざまな健康法に取り組んでいました。ある薬草がいいと聞けば薬草茶を飲み、「効く」という噂の水を取り寄せ、断食もしていました。また、明るく振る舞おうと努力していましたし、「ありがとう」などと前向きの言葉を積極的に使って、ヒーリングも受けていました。しかし、やっていることが空回りしている印象で、持病が改善している様子はありません。知り合いの姿から、不安やイライラ、怒りといった悲観的な思考回路を、これまた表面的なポジティブ思考で止めるのは難しいのではないかと思うようになりました。

悲観的な思考回路を
認識することが第一歩

 潜在的な意識をテーマに取材したカウンセラーからは、「私たち人間は、ほうっておくと悲観的な思考回路で不安や心配にとらわれてしまう存在なのだ」と認識することが第一歩だと聞きました。認識することによって、不安や心配から距離を置き、感情を俯瞰してとらえられるようになるのだそうです。
 「やればできる」「ありがとうと100万回言ってみる」などと言葉を使った手法で働きかけることは、潜在的な意識を無理に覆い隠そうとするので、かえって気持ちなどがこじれてしまうのかもしれません。
 我思うゆえに我あり、といった思考や分析をやめる。
 自分の思考や分析の渦に巻き込まれずに、一度突き放して、思考回路を眺める。
 立花隆氏の言葉を借りれば、脳が情報を取り入れることと吐き出すこととの間には「ブラックボックス」があるそうです。内部が見えないのだけれども取り扱えるものだから、ある意味、ブラックボックスをいじくるような変な努力をするよりも、出てくるものを静かに待つほうがいいのかもしれません。
 1人ひとりのブラックボックスはよくわからないもので、逆を言えばよくわからないからブラックボックスであるわけです。
 ですから「○○すると潜在的な意識までアプローチできる」的なマニュアルはあり得ません。そんなインチキなマニュアルでセミナーを開いたり、価値のない書籍を売りつけようとしたりする人々には注意してください。また、一見、科学者のような(というか「元教授」的な肩書きがついています)人物がそのようなビジネスを行うことや、肩書きと名前だけを貸しています。
 「肩書きに弱い」と認識することが第一歩。
 認識するだけでも、肩書きを鵜呑みにする背景の不安などから距離を置けるでしょう。そして自分のブラックボックスに委ねる。すると、今、自分の心と体が何を求めているのかに対しての答えがポロリと出てくるはずです。

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