カテゴリー「教育」の12件の記事

子どもにも教えたい、「全部デマカセ人間」を寄せ付けない論理力

20年近く前でしょうか、経歴、人脈など口にすることがほぼでたらめな、全部デマカセ男と仕事をしました。

全部デマカセ男はさまざまなつてをたどって、私が所属していた編集部の上の人間と知り合い、村おこしをしたいある地域の記事を作ることが決まりました。
私は新入りだったので、上の人間の指示で私が記事を担当することになりました。
当時、私は20代で、全部デマカセ男はおそらく40代。
見た目は「その辺によくいる業界人」で、物腰は柔らか。
「村おこしをしたいという地域に、私は力を貸したい」と情熱を語りました。
顔が広くさまざまな情報を持っているようなので、私は何の心配もなく彼と取材に出かけました。

しかし、現地に入ってから、「全部ウソじゃないか!」と私は気づいたのです。
コーディ―ネートできるほどの人脈はなく、マスコミの人間を連れてくるからとその村で吹聴していたようです。
取材を続けるうちにボロが出てきて、なぜか尻拭いは私。

幸い、全部デマカセ男は編集部や村から大金をだまし取ることはなく、記事を無事に作ることができて直接の損害は被りませんでした。
その後、全部デマカセ男は本性が暴かれて追放されたらしいと編集部の上の人間に聞きました。

私が会った全部デマカセ男はそれほどの悪人ではなかったようですが、世の中には男女問わず、極悪人の全部デマカセ人間がいるようです。
「北九州監禁殺人事件」の松永太、「尼崎連続変死事件」の角田美代子、そして25歳の女性を暴行死させた容疑で逮捕された 田口恵子容疑者。
彼らは他人のお金だけでなく命までも奪っていきました。
そして子どもたちも事件に巻き込まれています。

全部デマカセ人間の共通点は、自分で働いてお金を稼いでいないこと。
そして、自分よりもさらに弱い人たちからお金をむしり取ろうとすることです。
ですから、接点づくりが巧みで、他人の弱みに敏感で、なおかつ口がうまいわけです。

全部デマカセ人間の傾向は、次のとおりです。
[初対面]
○非常に愛想がよい
○口がうまく、ほめ上手
○パリッとした服装だったり、気のいいおじさん・おばさん風だったりして、外見からではわからない
○低姿勢
○接点づくりがうまい(遠い縁故をつなげる)

[その後]
○自分で責任を取らない
○弱みを握って恐喝する(暴力をふるうケースが多い)
○何度も押しかけてくる
○落ち度をとがめる(難癖をつける)
○自分のウソと現実が区別できていない
○お金やお金になりそうなもの(無形の技術やコネクション、知名度なども含む)をたかろうとする

全部デマカセ人間かどうかを見分けるには、「どんな仕事をしてきましたか」とお金の稼ぎ方を質問するといいでしょう。
彼らがペラペラとしゃべって説明した内容で、以下の2点をチェックするのです。
●「AならB」「BならC」→「AならC」と彼らは説明する。実際は「Aのほんの一部がC」でないかを検討する
●特殊な条件下でしか成り立たないことを、あたかも別の条件下でも成り立つように説明していないかを検討する

全部デマカセ人間は論理的な人間を嫌う傾向があります。
彼らの語っている内容を突き詰めていくことで、相手が寄ってこないことがほとんどです。
それでも全部デマカセ人間がめげずに近づいてきたら、全力で逃げるのです。

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私なりに考えてみた、10年後も飯が食える仕事、食えなくなる仕事

AI(人工知能)などによって今後20年で消えるかもしれない仕事を、イギリスのオックスフォード大学マイケル・A・オズボーン准教授が論文で書いたそうです。
その内容を見ると、データを入力したり出力したりする仕事はAIでできるのですね。
銀行員(融資の審査など)、レジ打ち(値段の入力、合計金額の出力など)、図書館員(所蔵本の検索、貸出、返却、取り寄せなど)、保険(年齢や既往歴から保険料を算出など)、ホテルの受付(予約の確認、空室状況の把握など)などが当てはまるようです。

また、細かい作業もAIはできるとのこと。
ネイルアートや縫製、料理の下ごしらえ、食器洗い、組み立て作業などは、ロボットにやってもらえそうです。
ネイルができるのならば、歯の治療もロボットができるようになるかもしれません。

私が「ちょっとこれは……」と思ったのがロボット教員。
金八先生世代だからでしょうか、人が人を育てるのではないかと最初は抵抗感がありました。
ただ、体罰もえこひいきもいじめもセクハラもしないだろうから、ロボット教員のほうがむしろ安心できるかも(笑)。

あと10年ちょっとで、我が家の子どもたちは社会人になるはず。
その頃には生活費を稼げない(飯が食えない)仕事になるか、まだ稼げる(食える)仕事なのか、私なりに考えました。

私が思った食えなくなる仕事1 フリーライター
10年前と比較して、インターネット関連のサービスが飛躍的に向上。
2007年にはiPhoneが登場。
どこでも仕事ができる環境が整ってきたことで、ライターが供給過剰になっているのかもしれません。

インターネットでキーワード検索し、いくつかのページをコピー&ペーストすれば、なんとなくまとまった文章を作ることができるでしょう。
出かけて行って直接取材をする必要はないので、家の中ですべてが済みます。

一つ気になるのは、誰がコピー&ペーストの元となる原稿を書いているのか、ということ。
例えば医学関連だと、医師の書いた論文は専門用語が多く、一般の人には理解しづらいものです。
ですから専門知識を持つライターが、かみ砕いた表現に変換して、原稿を書いているはずです。

これまで、専門知識を持つライターには、それ相応の原稿料が支払われてきました。
しかし現在は、供給過剰のライターによってジワジワと原稿料が下がっていると考えられます。
その波は専門知識を持つライターにも及ぶかもしれません。
結果として、ごく一部のライター以外は、小遣い程度しか稼げなくなると推測します。

「インターネットでキーワード検索→いくつかのページをコピー&ペースト」という作業だけならば、人間よりもAIのほうが文章を量産できそう。
供給過剰のところにAIが参入してくると、「かみ砕いた表現に変換」という作業のできないライターは淘汰されていくでしょうね。
専門知識を持ち、適切に表現を変換させる技術を磨いて、営業に回って過当競争に勝ち残るガッツ、我が家の子どもたちにはなさそうです。

私が思った食えなくなる仕事2 カメラマン
20年前は、町には1店か2店ほどカメラ屋さんがありました。
書店やコンビニなどでは、現像を受け付けるサービスを行っていました。

それが今では、ほとんど見かけません。
これには技術革新が関係しているのでしょう。
第一の波がデジタルカメラ、第二の波がスマートフォンというところでしょうか。
写真の補正が簡単にできるアプリも登場し、プロに撮影してもらう必要もなくなったのです。

素人でもそれなりの写真が取れるようになったうえ、インターネットで画像を共有する人も増えています。
雑誌などでもちょっとしたカットならフリー素材で済ませる、なんてこともあるような、ないような。

そのため、ライターと同様、ごく一部のカメラマン以外は飯を食えないと推測します。

私が編集者になりたての頃は紙焼きを製版してもらっていました。
しばらくするとポジが主流で、印刷所が色分解。
今はデータを転送するだけ。
ポジとかネガとか、子どもたちは見たこともありません。

またデータは印刷所で自由に修正できるので、撮影者がプロかアマかもわからなくなるのでしょうね。

私が思った食えなくなる仕事3 デザイナー
製版屋さんも写植屋さんも、今はなにをしているのかなと思います。
新人の頃の私は失敗ばかりで、画像や文字の修正をお願いに製版屋さんと写植屋さんに足を運んでいました。

20年後の今、製版屋さんと写植屋さんにお願いしていたことの多くがパソコンでもできるようになりました。
これも技術革新が関係しています。

さらには、アプリの進化で、簡単なデザインも自分でできるようになっています。

私が最近バイトした某所では、デザイナーが半端なく忙しく働いていました。
どうやら仕事の単価が下がった分、大量に引き受けているのか、ライティングが完成していない時点でどんどんデザインしていかなければいけないようです。
中途半端な原稿ですから、当然、クライアントからの修正がどんどん入ります。
また、日本語としておかしい部分は部内チェックで、これまた修正が入ります。
修正が来るたびにデザインも変更するという、私みたいなバイトから見ると悲惨な状況。
完全原稿で仕事を始められるほど、スケジュール的な余裕もないようです。

上記のデザイナーはDTPですが、そのほかも似たような状況ではないかと。
超有名なデザイナーは、おそらく、ある程度自分たちでスケジュールを管理できているでしょうし、「後で文字数を極端に増やして、デザインをやり直すのはなしだからね」なんてクライアントに意見も言うはず。
超有名になる前に、若いデザイナーがつぶされなければいいんだけどと思っていました。

私が思った食えなくなる仕事4 料理研究家
クックパッドの登場で、すでに食えない状況かもしれないですね。
誰もが「料理研究家」になれる可能性が高くなってしまい、供給過剰です。
しかし、他人に教えられる域の技術や設備(広いキッチンなど)を持つ人は少数と思われるので、料理教室の運営ならば食える可能性は高いでしょう。

私が思った食える仕事1 編集者
雑誌も書籍も今や点数が過剰。
これは異常。
ここ数年のうちに、淘汰が起こると思っています(一時は食えなくなってしまう編集者が増えるかも)。

その結果、版元の数が適正になって、10年後には食える状態になっていると期待しています。
AIのおかげで、人手とお金をかけずに雑誌と書籍が作られるようになるでしょう。

私が思った食える仕事2 癒しの仕事
私が住んでいる市川駅近辺では、接骨院や鍼灸院、マッサージ院の数が非常に多い状態です。
駅から徒歩5分圏内に、3つを合わせて20~30軒はありそうです。

2025年には、日本の人口の3人に1人が65歳以上の高齢社会になるという見通しを厚生労働省は持っているようです。
接骨院や鍼灸院、マッサージ院は、単に施術を行うのではなく、体に触れて、会話をして人を癒す役割もあります。
高齢になると人は寂しさと痛みを感じやすいもの。
その点で、まだまだ食える仕事だと思っています。

同じような意味で、顔に触れるヘアメイクも癒しの仕事に入れられるかもしれません。

私が思った食える仕事3 農業
今、アメリカやヨーロッパに広がっている反グローバリズム。
ジワジワと日本にも波及して来たら、ちょっとした恐慌が起こるでしょうね。
そうなると、再郵政課題が食糧。
日本の農業が重要視され始めるかもしれません。
もう一点は、安全性。
高齢化が進むということは、基本的にはそれほどの量の食べ物を必要しなくなるという流れです。
量ではなく質。
特に安全性を考慮して、生産者がわかる食べ物を購入する傾向がもっと強まるでしょう。

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作文嫌いな子のためのファーストステップは手紙

新たに開設したブログで、作文について書きました。

この文章を書きながら、「どうしても作文が嫌だという子どもにとってのファーストステップは何だろうか?」と考えていました。
子どもに作文を書かせるのではなく、自分から書きたいと思わせるのなら、おもしろがって読んでくれる読み手が必要です。」と書いたところで、ひらめきました。

手紙。
お母さんやお父さんに、自分が買ってほしい物を伝える手紙です。
手紙には必然的に読み手がいます。
子どもは自分が欲しい物を買ってくれるように説得するわけですから、熱も入るでしょう。
「もし、うまく書けたのなら、買ってくれるかもしれない……」
夢があります。
やる気が出ます。
我ながら名案だと思い、早速自分の子どもたちで試してみることにします。

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不勉強が嫌がらせを生んでいるという可能性、原発の自主避難もアトピーも

原発事故で自主避難をした小学生が、避難先の小学校でいじめに遭ったと報道されています。
テレビでこのニュースが流れるたびに、私は不愉快になって「いじめじゃなくて犯罪だ!」「担任は教職をやめろ!」と怒りまくっていました。

しかし、ふと思ったのは、感情的に反応しても根本的には解決しないだろうということ。
実際のところはどうなのかを子どもも大人も知ろうとする態度、視点を変える努力が大切かもしれません

そもそも、放射能と菌を結びつけることがおかしいわけです。
放射能とは、ラジウム・ウランなどの元素が、自然に崩壊して放射線を出す能力。
菌は、その辺にいる微生物。
まったく違うことを結びつけているからおかしな考えをするのだ、きちんと勉強しなさいと、大人は子どもに教えたほうがいいのかもしれません。

さらに、私たちは体に菌をすまわせて生きています。
口の中、皮膚、腸の中など、人体の細胞の数よりもはるかに多い菌と一緒に共生しているのです。
人間にとって有害な微生物を「ばい菌」なんて言いますが、メタゲノム解析という手法で腸内細菌の遺伝子情報を調べられるようになり、過去に悪玉とされた菌が有用な働きをしていたこともわかってきています。

勝手な思い込みで放射能と菌をごちゃまぜに考えたり、菌という言葉を有害という誤ったイメージで使ったりするのは間違っていると、冷静に大人は子どもに伝えたほうがいいかもしれません。
「おまえの体も、多種多様な菌がすみついているおかげで健康な状態なんだよ」と教えるという方法もあるでしょう。

自主避難については、「もう福島で生活できるのではないか」「過剰反応ではないか」「自主避難者が風評被害を広めている」などの意見があるそうですね。
賠償金でわだかまりが生じているとも報じられています。
賠償金を受け取っている家庭は、後ろめたい気持ちになるのかもしれません。

しかし、賠償金を決めたのは政府ではないのでしょうか。
原発を推進してきたのも政府。
政府を作る国会議員は選挙で選ばれた人で、国会議員の中から内閣総理大臣が選ばれています。
選挙権を持っている人がみんなで決めた政府なのだから、原発も賠償金も選挙権を持っている人が決めたと言えるのかもしれません。

賠償金の問題は、受け取っている家庭にはありません。選挙権を持つ人全員にあります。
それを、「賠償金をもらっているんだから」と1円でも脅し取るような行為は、まったくもって正当化できないのです。

子どもたちには「いじめだから悪い」という押さえつけではなく、筋違いのことはやめなさいというアプローチが必要かもしれません。

話はアトピー性皮膚炎に変わります。
皮膚が乾燥してうろこ状にめくれたり、膿でグジュグジュしていたりすることから、クラスメートからからかわれた子どもはいると思います。

カサカサ・グジュグジュに対して「汚い」と表現する人がいます。
汚いの反対は清潔ですが、カサカサ・グジュグジュが清潔志向から生まれていることは『ふろに入らないほうが美肌になる』でしつこく書いたとおりです。

カサカサ・グジュグジュは、皮膚のバリア機能が低下したことが原因で、新陳代謝が速まり過ぎたり、傷で皮膚の常在菌である黄色ブドウ球菌が異常に増えたりした状態。
皮膚のバリア機能の低下は、皮膚の洗い過ぎから生じることもあると、これまた『ふろに入らないほうが美肌になる』でしつこく書きました。

つまりは、カサカサ・グジュグジュを「バリア機能が低下しているんだね」と表現するべきだと思ったのです。

子どものいじめについては、私を含めた大人たちはヒステリーに反応しがちです。
私は以前、自分の子どもが仲間と一緒に、クラスメートの外見を「ゾンビ」などとからかっていたと、子どもの友達から聞いたときがありました。
それで自分の子どもを「そんなことを言っちゃいけないでしょ」「集団で、人の嫌がることを言うなんて!」「からかう子どもなんて大っ嫌い!!」と怒ってしまいました。

今思えば、子どもには「お母さんがメチャクチャ怒って、怖い」という印象しか残らなかったのではないかと。
なぜ「ゾンビ」という表現が不適切なのか、丁寧に説明するべきだったと反省しています。

ハロウィーンでの「ゾンビメイク」のように、最近はゾンビにかわいいという要素もあります。
しかし、そもそもゾンビは、人間が死んだ状態からヴードゥーの術によって復活されて自分の意志では生きられなくなった奴隷なのだそうです。
『神秘家列伝 其ノ壱』(水木しげる、角川ソフィア文庫)という漫画には、18世紀のハイチがフランスの植民地で、アフリカ西海岸から多数の黒人が奴隷として連れてこられたという歴史が紹介されています。
フランス人農園主がどのように奴隷を扱ったのかが描かれていて、人間とはこんなにも残虐な行為ができる存在なのかと、読みながら気分が悪くなりました。

加えて、集団心理についても、子どもにわかりやすく伝えていく必要があると思いました。
1対1の人間ならばできないような残虐な行為が、集団になると感覚がマヒしてエスカレートしていくわけです。歴史的に見ても。

子どもたちには、「やっちゃダメ」としかるのではなく、「もっと学びなさい」と伝えるようにしようと思った次第です。
私も目下勉強中ですが。

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進学を希望する「学力底辺校」の生徒には作文が武器になる

インターネットのナレッジコミュニティに、「自宅で作文教室を開きたい」という投稿がありました。
投稿者は高校の非常勤講師。
勤務しているのは「学力底辺校」なのだそうです。

学力底辺校でも少数ながら大学に行きたいと希望する生徒がいるとのこと。
しかし、学力的に厳しく、小論文と面接のみの推薦入試や、AO入試に頼らざるを得ないのだそうです。。
また、投稿者は「小学校からの日々のなかで『作文が書けないこと』が何かのトラウマになっている中学生も少なくないと思います」と述べています。
こうした中学生・高校生に作文を教えたいようです。

この投稿を読みながら、どこのどなたか知らない投稿者を「がんばってください!!」とつい応援してしまいました。

『怠けてなんかない!』など学習障害に関する著書の多い品川裕香さんの本には、意欲はあるのに周囲の無理解で進学・就職の道が閉ざされた人のインタビューが紹介されていました。
加えて投稿者も書いている「何かのトラウマ」が、子どもたちの学力の足を引っ張って進路を狭めているのかもしれません。
教育の現場にいる人の声は、とても実感がこもっています。

私は編集とライティングのプロとして、投稿者のような意欲を持っている人のために少しでも役に立ちたいと思います。
「子どもに手取り足取り文章の書き方を教える作文教室」を立ち上げることで、投稿者をはじめ教育の現場にいる人とネットワークや情報交換ができるかもしれません。
そうなれば、投稿者のように若くて意欲を持っている人に教室を提供することもできます。

私は今年アラフィフに突入しました。
自分のグータラな性格から、なにか始めるのなら今が最後かもしれないと思うようになりました。
これからの人生で、今日の私が一番若いんですよね、当たり前ですが。

何もしなければお金を失わないし、労力も使わずに済みます。
これまでどおりフリーライターとして細々と原稿料を稼ぎ、ひたすら節約すれば、教育費や老後の資金もなんとかなるでしょう。
そのほうが賢い生き方のような気がする一方、自分が培った能力と経験を子どもや若い人のために使いたいと思ってしまうのです。
女性の健康・子育ての専門書店「知恵の木」。
しっかり根を張って、果実を多くの人に食べてもらえるのかな??
ちなみに、私の実家は浄土真宗の門徒(盆と葬式だけ)で、旧約聖書の知恵の木とはまったく関係がありません。

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小学4年生以上を対象に、作文嫌いな子ども専門の作文教室を始めます

 このブログで、「小学校低学年の子どもに読書感想文を書かせる方法」「作文嫌いの子どもに1日で読書感想文を書かせる方法」を書きました。この方法を息子の友達にも伝えて、けっこうな手ごたえを感じています。
 そこで、作文が嫌いな子に絞って、作文を教えたいという欲求が湧いてきました。
 そもそも私は編集者で、著者やライターに原稿を上げてくれるよう、あの手この手を使って工夫をしてきました。その21年間の蓄積を生かせればと思っています。
 締め切りを守らないライターの人には、恫喝したこともあります。原稿がまとまらないと話すので自宅まで押しかけて、文章構成を指示したこともあります。
 恫喝も押しかけも、私が望んだことではありません。原稿を締め切りまでに出してくれたら、待っていれば済んだのです。しかし、文章を書くことで報酬を得ているプロのライターでさえ書けないケースがあるわけです。
 子どもの作文についてはどうでしょうか? 作文嫌いの子どもに原稿を書かせたとして、待っていれば仕上がるのでしょうか?
 否!!
 私はライターに恫喝や押しかけまで行った苦々しい経験と現在は逆にライターとして働いていることが、子どもに作文を書かせることに役立つのではないかと思います。
 作文が好きで得意な子どもは、近所の塾で作文技術を学べばいいでしょう。
 一方、作文嫌いな子どもは、「見る・読み取る・感じる・思い出す・結びつける・表現する・変換する・書く」のどこかで困難さを抱えていて、ただテクニックだけを教えられても作文ができないはずです。私は息子に作文を教えながら、そう実感しました。
 作文の基本となるのが、読書感想文です。本の内容をベースに自分の感想や考えを述べるという読書感想文は、将来、大学でのレポートや仕事の報告書にも結びついていきます。そして読書感想文が書けるようになるのは小学4年生からではないかと感じています。教え方は「作文嫌いの子どもに1日で読書感想文を書かせる方法」が基本で、両親でも教えられるのではないかとも思うのですが、子どもと一緒に本を読んで、付箋の貼り方やメモの取り方を見せながら教えるというのは大変かもしれません。私が息子に読書感想文を書かせたとき、ぐったりと疲弊してしまいました。
 ライターに恫喝・押しかけを行った私でもきつい作業だったからこそ、やりがいがありそうです。
 予定では、マンツーマンで1回1時間当たりの授業料が4000円。入会金などはなし。本は自分で買ってもらってもいいし、子どもから話を聞いて私が勧めてもいいでしょう。。
 「作文嫌いの子どもに1日で読書感想文を書かせる方法」をわかりやすく書籍化するのでその本か、私のブログを読んでもらって、両親ではできない部分を集中的に私が教えるのが理想です。両親が他人に任せきりではなく、積極的に関わったほうが作文力は伸びるのではないかと思っています。それが授業料の節約にもなるわけで。
 情報のインプット・アウトプットを行う「作文力」は、スマホやパソコンなどの情報電子機器が発達し続ける未来の社会で、必ず必要とされます。
 たくさんのことを暗記して計算の早い人が「頭がいい」と言われるのは子どもの頃まで。大人になって社会で生活するようになると、単なる情報通や物知りよりも自分なりの考えをわかりやすく表現できる人が評価されます。
 その作文力を養うための手助けを、私ならできるのではないかと思っています。
 ただ優しく諭すだけではダメなので、ガチンコで粘り強く、作文嫌いの子どもに向き合いたいですね。
 JR総武線市川駅近辺で、作文嫌いのお子さんがいらっしゃって「作文力」に興味を持たれたら、このページ右下にあるBlog Mailでご連絡ください。

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幸運も不幸も出てくるブラックボックスの存在を子どもに教えたい

誰もが加害者や
被害者になる可能性がある

 22歳の俳優が、強姦致傷罪で逮捕されました。彼の母親は著名な売れっ子女優。ですから彼自身の俳優生命が絶たれただけでなく、母親の仕事にも悪影響が及ぶと思われます。被害者はもちろん、加害者本人も取り巻く人々もみんなを不幸にするという結果となりました。
 女手一つで苦労しながら育てた息子が、ようやく社会人になって安心していたら犯罪者になってしまうとは……。母親である女優のことは、私も息子がいるので他人事ではありません。
 日々の生活で、自分が犯罪の加害者・被害者になるかどうかの紙一重の出来事は何度か起こっているものではないでしょうか。
 私は20代の頃に、被害者になっていた可能性もあるような経験をしています。会社の上の人とお酒を飲んだ帰り、当時住んでいた三鷹の駅で降りて信号待ちをしていたときに、若い男性に声をかけられたのです。「電車で見かけてからずっと後をついてきたんですけど、気づきませんでしたか?」
 その男性は酒を飲んでいたようですが、意識ははっきりとある様子。私自身も目上の人と飲んでいたので、酔っ払ってはいませんでした。私はその男性とやり取りし、定期を見せられて彼が高尾駅を使っている会社員とわかりました。けっきょく、私は朝まで営業している居酒屋にその男性を連れて行き、トイレに行く振りをして逃げ帰りました。
 もしもその男性が私をつけて部屋まで侵入していたら、私は犯罪の被害者になっていたかもしれません。
 その男性にしても、きっちりとスーツを着た若いサラリーマンでした。話し方も普通。私の後をついて来る途中で声をかけたり、居酒屋で逃げられたりしているわけですから、常習犯とは考えにくいものです。
 今思うと、その男性は魔が差したのではないでしょうか。毎日、ケンカやスリ、痴漢が多発する中央線で高尾駅から神田駅まで長距離通勤し、仕事やプライベートなどでストレスを抱え、ふと満員電車で見かけた見知らぬ女性(私)の後をついて来たのでしょう。付き合いたいとか、襲ってやろうとか、そんな理由もなく。
 私は中野に住んだこともあるのですが、その頃にも似たような経験をしました。
 ですから、22歳の俳優が特異なケースではなく、ストレスフルな状況下で誰もが加害者になる可能性があると思ってしまうのです。そして、芝居に熱心だったりバラエティ番組で天然キャラの好青年だったりする彼も、女性を襲ってしまった彼も、1人の人間の中に含まれるわけで、「好青年を偽っていた」「二世だからロクでもない」「常習犯に違いない」という世間一般の考えに私は否定的です。


ブラックボックスの存在を
子どもに伝えたい

 先日「言葉ばかりで思考・分析しないほうが自分らしい答えが見つかる」というタイトルのブログで、意識の中のブラックボックスの存在について書きました。
 「魔が差す」行動も、ブラックボックスの中から出てくるのかもしれません。自分でもアッと驚くような画期的なアイデアも、自分もみんなも不幸にする理不尽な欲求も、言葉で説明しにくいものです。むしろ言葉を使うと屁理屈をこねることになったり、状況をゆがめたりすることにつながったりします。殺人の動機を「太陽がまぶしかったから」と語る『異邦人』(カミュ)のほうがしっくりくるのは私だけでしょうか。
 言葉で説明しにくいブラックボックスについて、その存在だけでも子どもたちに伝えておくことは必要だと、今回の事件で感じています。
 話題が飛躍しますが、忍者は重要な術を書物に書き残さず、口伝えにしたそうです。その理由は「他の流派に書物を奪われることを恐れた」だけでなく、ほんとうに大事なことは言葉で説明し切れず、体で覚えさせたのではないかと。「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」(山本五十六)ではありませんが、五感を総動員させて術を伝えたのだと思います。
 ある医師に取材したときに、自覚できない深い意識は体を通してメッセージを送ってくると聞きました。カゼや骨折などの病気・ケガは、深い意識で「現状はよくない」と察知したことを体で伝えているのだそうです。自覚できる意識は言葉を使った思考と分析で忙しく、屁理屈をこねたり状況をゆがめてとらえたりするのですが、体は正直なようです。
 また、リフレクソロジーにも詳しい看護師に取材したときには、手のひらや足の裏に内臓の状態が反映されるのだが、内臓の状態は自覚できない深い意識に影響を受けると聞きました。自分で気づかない、あるいは知らぬうちに否定している悲しみを抱えていると、肺に影響して呼吸が浅くなり、手のひらや足の裏の「肺」の反射区にしこりなどが現れるというわけです。
 上記のことから、普段から自分の手のひらや足の裏を観察する習慣をつけることで、体を通して深い意識を探ることができるかもしれません。
 もう一つ、占いにも効用があるのではないかと思いました。私が書いている「誕生数占い」だけでなく占星術も四柱推命も、人間は人知を超えた存在から大きな影響を受けているという前提がありません。人知を超えた存在とは、ブラックボックスと言い換えることもできるでしょう。占いが当たる・当たらないはさておき、人知を超えた存在=ブラックボックスの存在を子どもに伝えるには占いという手段もあるはずです。ただし、占いを妄信しないようにさせる細やかな注意が必要ですが。

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今や、教育は投資ではない

公立→国立で
小学校から大学までで10299483円

文部科学省と日本学生支援機構が発表したデータ(平成22年度)をもとに、教育にかかる費用を調べたことがありました。

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ざっくり計算すれば、小学1年生から大学4年生まで、公立から国立に進んだとして、教育にかかる費用は10299483円。
1千万円ちょっと。
すべて私立に進めば、23140556円
2千万円ちょっと。

もちろん、一気にこれだけの額がかかるわけではありません。
それに個人差はあります。
しかし、教育にかかる費用がかなり高額であることは実感します。

教育は
投資ではない

ところで、最近、女性の医師が診療報酬詐欺で逮捕されました。
いわゆる「お嬢様学校」から東京女子医大を出て、麻酔科専門医の資格も持っているそうです。
医療ドラマを見て、麻酔科専門医は患者さんの生命を維持するために、ものすごい神経と経験、技術が必要とするのだなと思っておりました。
この医師は、大変な努力家だったし、成績も優秀だったのだろうと推測されます。

それが、テレビ番組などで悪目立ちをし、借金を抱え、逮捕までされて、これからのキャリアは絶望的でしょう。

朝のテレビ番組で、女性医師の話が取り上げられたときに、近所に住む人が「お母様がかわいそう。一生懸命、投資してきたのに」みたいなコメントしていたので、なるほどと思ってしまいました。
やはり、教育は投資という考え方は根強いのかと。

派手な言動でマスコミを騒がした医師だったので私たちの知るところとなりましたが、個人的には氷山の一角だと感じています。
開業して経営状況が芳しくなく、借金を抱えているクリニックは少なくありません。

つまり、医師免許を子どもが取るために、教育にお金を費やしても、それが必ずしも返ってくるとは限らないのです。
子どもが開業するために借金をし、返済できなければ、親にも負担がかかる可能性は高いでしょう。

教育に費用をかけて、偏差値の高い大学を出て、就職したり開業したりしたとしても、それはゴールではありません。
社会人として、子どもが一人前になったかどうかが重要なのです。
教育にかける費用が投資ではなく、一人前になるための教育、それも学力だけでなく世間の常識を学び、心身両面を鍛えることが、投資ではないでしょうか。

この世の中を
生き抜くということ

私は四捨五入すると50歳になります。
子ども時代から大学4年生まで、大量生産・大量消費の成長社会でした。
子どももたくさんいて、小学校では1学年に6クラスありました。
私たちは学力を競い合い、高い学歴を目指し、大企業に就職すればゴールだと信じていました。

一方、私の子どもが通う小学校は1学年に2~3クラス。
バブル崩壊だけでなく、東日本大震災での原発事故の後遺症をまだまだ引きずり、「豊かさとはなんだ」と考える社会ではないでしょうか。

電気をたくさん使って、たくさんのものを作って、食べ切れないほどの料理を並べて、たくさんのものを捨てて、環境を汚す生活を、もう「かっこいい」とは子どもたちは思わないでしょう。
お金はあったほうがいいけれど、無理してまでお金持ちになろうとはしません。なぜなら、大量消費は古い感覚ですから。

アベノミクスの本丸は成長戦略ですが、どうでしょうか。
さまざま評論家が是非を争っていますが、個人の生活レベルではお金を使って回していこうという気にはなれず、いまだに防衛傾向のような印象です。

成長から成熟へと社会が変化していく中で、古い価値観・成功体験やマスコミの書き立てる情報に惑わされず、自分で考え、判断し、選択すること。
これから世の中を生き抜くために、丸暗記の知識よりも、知恵と判断力、さらには行動力が、子どもたちには重要になってくるでしょう。

それは、大人である私も同じで、あと何年生きられるのかわかりませんが、まだまだ勉強しなければと痛感しているところです。

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子どもにWhy?ではなくHow?と問いかけたい その6

再びの授業参観。
今回は算数の授業でした。
相変わらずの最前列が、息子の席です。

教師が黒板に書いた問題を、ほかの生徒たちは一斉にノートに書き写しているのに、息子は黒板をじっと眺めています。
「ああ……」と私は落ち込みそうになったのですが、教師は黒板から振り返って息子の様子を見ても、うんうんとうなずくようなしぐさをしていました。
書かないことを許容しているように見えます。

やがて、教室のあちこちから手が挙がり、「できました」という声も聞こえます。
すると、息子も静かに手を挙げました。
ノートにはほとんど書き込みがなさそうなのですが、問題を解いていたようです。

自宅で算数のノートを見せてもらうと、「きっちりと」とはとても言えないのですが、授業の要旨がわかる図が描かれていました。

子どもにWhy?ではなくHow?と問いかけたい その2 では、私は授業参観で泣きそうな気分になったと書きました。
それが昨年の6月のこと。

あれから8カ月。
教育相談に行ったり、教師に相談したり、私も息子の勉強を見たりしてきました。
息子の小さな変化を感じられて、ほっと一安心。

もう一つは、息子の勉強のやり方が、私とは全然違うということも改めて確認しました。
私は小器用な子どもだったのでノートを取るのが早く、教師や親など大人が望むことをスーッとやってしまう要領のよさもありました。
息子はノートは取っていないし、傍目にはボケーッとしている印象だけど、彼の脳内では算数を学んでいるのでした。

息子のような子どもたちは、みんなと違うことを、違う形で成し遂げていくのかもしれません。私はついつい「みんなと一緒」「みんなより早く」を求めてしまうのですが。

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Why?ではなくHow?と問いかけたい(改)

見守る・褒めるだけでは
意味がない

 就学前や小学校入学後の子どもたちには、新たな要素が生活に加わります。
 それが勉強。
 それまでは心と体が健やかに育ってくれれば、それだけでなにも言うことはありませんでした。しかし、就学前や小学校入学後は、読む・書く・計算することを学ぶようになります。
 この時点で、勉強面のちょっとした差が見られる場合があります。文字を書くのが遅いので、ノートが真っ白。字がぐちゃぐちゃで、なにを書いたかわからない。音読が苦手。自分の課題に集中できない。宿題が終わらない。
 もちろん、読む・書く・計算することに、子どもたちが慣れていないことも関係します。時間が解決するから、見守っていればいいと親は思うことでしょう。
 しかし、2年生になっても3年生になっても、読む・書く・計算するがとても苦手なままの子どももいます。ふだんの生活を見ていると、普通におしゃべりするし、話すことは子どもなりの筋が通っている。ゲームはやるし、マンガも読む。友達づきあいも活発。
 そんな子どもの様子を見ると、教師も親も「本人が怠けているだけだろう」とつい思ってしまうことがあります。親については「本人のやる気さえ出れば大丈夫」と見守るケース、「やればできるんだから! あなたはできるのよ」などと褒めて伸ばそうとするケース、「なぜやらないの?」「どうしてできないの?」「できるまで繰り返しなさい」と厳しく接するケースがあるでしょう。
 この3つのケースに共通するのは、ある発達傾向を持つ子どもたちには、なんの効果も与えられないということです。本人にやる気がないわけではなく、どうやって読んで書いて計算すればいいのか、通常の授業ではわからないからです。わからないことに対して、褒めても厳しくしても意味はありません。
 最悪なのは、「もう、やらなくていい」と教師や親が子どもの作業を中断させることです。子どもが傷つくという面だけでなく、「できない課題はやらなくていいんだな」と、ある意味、サボることを肯定する面があるからです。

「学習障害」には
さまざまなタイプがある

 全国LD親の会のサイトでは、次のように「学習障害(LD=Learning Disorders、Learning Disabilities)」を定義しています。
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学習障害とは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を示すものである。学習障害は、その原因として、中枢神経系に何らかの機能障害があると推定されるが、視覚障害、聴覚障害、知的障害、情緒障害などの障害や、環境的な要因が直接的な原因となるものではない。
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 この定義からも分かるように、前の述べた勉強に関する発達傾向は「学習障害」と呼ばれています。その傾向は、教科書を読むときだけに表れるのか、板書を書き写すときだけに表れるのか、表れ方は子どもによってかなり違います。
 さらに、授業中に、子どもがわざと周囲の子にちょっかいを出して、先生に怒られることで、苦手な音読をみんなの前で行わされて恥ずかしい思いをするのを避けようとするケースもあります。つまり、音読が苦手という傾向が、落ち着きのない乱暴な態度を生み出しているわけです。
 学校教師でも、熟練や熱意、知識がなければ、子どもの発達傾向に気づくことは難しいでしょう。結果として、子どもはしかられる場面が増えてしまい、自尊心が傷つけられて、もともと持っていたやる気を失っていくことにつながります。
 数十人の子どもたちを指導しなければならない学校教師に任せきりになるのではなく、親が子どもの発達傾向を観察し、理解して、勉強の手助けをする必要もあると私は考えます。親が「読むことと聞くことが苦手なのね」などと子どもの発達傾向に理解を示すだけでも、子どもの態度が落ち着いたりすることがあるからです。また、子どもをじっくりと観察することで、苦手なことだけでなく得意なことも発見できるので、親にとっても喜びがあるはずです。

子どもにはできるだけ
失敗をさせない

 発達傾向が見られる子どもへの接し方は、応用行動分析(ABA)やソーシャルスキルトレーニング(SST)など、さまざまな手法が考案されています。
 多くの手法で共通していると私が感じた点は、以下のとおりです。
(1)ルールを明確にし、子どもだけでなく大人も守る
(2)子どもになるべく失敗させない
(3)学習段階を細かく設定し直し(スモールステップ)、うまくできたら子どもにわかるように褒める

(1)ルールを明確にし、子どもだけでなく大人も守る
 発達傾向が見られる場合だけでなく、子どもは一般に、自分と他人の区別がよくわかっていません。ですから、よその家にお邪魔したときに断りもなくお菓子を食べてしまったり、他人の消しゴムを勝手に使ってしまったり、友達のゲームを自分も使おうとしたりしてしまうのです。
 ですから、自分のことは自分で決める、他人のことは自分では決められないと、親が教える必要があります。
 例えば、学校の宿題は自分のやるべき課題だと、子どもは自覚しています。では、課題を終わらせるにはどうしたらいいか、子ども本人に考えさせます。「テレビを見ると宿題ができないから、宿題が終わるまでテレビは見ない」と決めたら、ルールを守らせましょう。「楽しみにしていた番組があるから、宿題まだだけど、見ていい?」と言われたときに、まあいいかと大人がルールを破るのはやめましょう。
 大人も、自分が決めたルールがあれば守ります。そうすることで、勉強する生活習慣を子どもが身に着けられるとともに、自分のことは自分で決めるが、どんなに騒ぎ立てても、どんな言い訳をしても自分には決められないことがあることも学んでいくはずです。

(2)子どもになるべく失敗させない
 「失敗は成功の母」といいますが、子どもの場合は失敗によって「もう決して自分にはできない」「二度とやりたくない」と、大人の想像以上に自信を失ってしまうことがあります。
 ですから、成功させるための手助けが必要です。

(3)学習段階を細かく設定し直し(スモールステップ)、うまくできたら子どもにわかるように褒める
 子どもに失敗をさせないようにするため、学習段階を細かく設定するといいでしょう。例えば「『あいうえお』と書きましょう」ではなく、「『あ』と書いてみましょう。書けたら手を挙げてね」と子どもに伝えるのです。
 「あ」と書いた子どもが手を挙げたら、親はその手にハイタッチして「よく書けたね」と笑顔で声をかけましょう。無表情で「よし」と言っても、子どもには伝わりません。
 自分がやったこと・できたことに対して親に褒められると、子どもは笑顔になります。それが積み重なることで、「自分はできる」とやる気につながっていくのです。

学習障害を告白した
著名人

 女装家のミッツマングローブさん。慶應義塾大学法学部政治学科を卒業したインテリですが、学習障害であることを、女性週刊誌のインタビューで話していました。
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「量は全然多くないけど、セリフが覚えられないんです。ちょっと記憶の回路がおかしくて。実は私、学習障害なの」
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 学習障害でありながら、大学に進学できるほどの学力を持っていたミッツマングローブさんは、ご本人なりの工夫を語っていました。

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「暗記するときは“絵と音”で覚えるの。だいたい“絵”で頭に入るんですけど。教科書を覚えるときは、人物の顔に落書きをしたり、どこかに線を引っ張ったりして“自分用の景色”を作っていました。今も同じやり方で歌詞や台本を覚える。“自分用の絵”を頭の中に複写して、本番はそれを読んでいるんですよ」

「共演者が“ココに立ったときにコレを言う”というように記憶しているんですよ。だから、少し立ち位置が変わったりすると、前後不覚になっちゃう。セリフ自体、なんて書いてあったかを頭の中で見て思い出すので、口に出すスピードが1~2秒くらい遅れてしまうんです。最終的には何もかもを犬のしつけみたいに繰り返すことで、クセをつけて身体に覚えこませるの」
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 トム・クルーズやスティーブン・スピルバーグも、学習障害を公表しています。
 子どもが学習障害と診断されたり、そのような発達傾向が見られたりしても、将来を悲観することはありません。進学をあきらめ、親が被害者意識にとらわれるのはやめるべきでしょう。逆に、過保護にして、「特別な能力があるはず」などと褒めちぎるのも、自信過剰の困った大人になる可能性はあります。
 親をはじめ、周囲の大人が子どもに「どうしてできないんの?」ではなく「どうすればできるかな?」と問いかけ、適切な対応を行うことで、子どもが成長したときに仕事や友達づきあいでつらい思いをすることは軽減されるはずです。また、発達傾向を才能や適性として、社会生活で生かしていくこともできるでしょう。

 

■表現を換えてみよう
 発達傾向が見られる子どもは、どうしても周囲の大人から注意されるケースが増えてしまいます。
 しかし、評価する言葉を変換させると、同じ子どもでも印象が違います。大声で騒ぐ子どもを「うるさい」と表現するか、「元気」と表現するかで、評価する人自身も気分が変わるものです。

○行動
しつこい→粘り強い、くじけない
遅い→丁寧、慎重
要領が悪い→おっとりしている、マイペース
鈍感→打たれ強い
不器用→努力家
視野が狭い、オタク→一点集中型

空気が読めない、気が利かない→自分の世界がある、マイペース
うるさい→元気、活発、にぎやか、明るい、社交的
ダメ→将来性がある、大器晩成型

自分では何もしない→周りを信頼している
いい加減、がさつ→おおらか
だらしがない→自然体、のびのびしている
乱暴な→たくましい

○性格
頑固、意地っ張り→意志が強い、一途な
理屈っぽい→論理的
独りよがり→信念が強い
強引→リーダーシップがある、エネルギッシュ
怒りっぽい、短気→情熱がある、
勝気な、負けず嫌い→向上心がある
きつい、厳しい→シャープ、率直
自慢、プライドが高い→自分を愛している
コロコロと意見を変える、調子がいい→臨機応変、考え方が柔軟
わけがわからない、意味不明→独創的、芸術的、抽象的
つまらない→難しい
文句が多い→こだわっている、自分の意見を持っている
飽きっぽい→好奇心が旺盛、多趣味
責任感がない→自由な

気が小さい→慎重、謙虚、行儀がいい
気弱→温厚、協調性がある
優柔不断→思慮深い、慎重
平凡→手堅い、定番
地味→素朴
神経質→繊細、細やかな

せっかち→行動力がある、思い切りがいい
そそっかしい→頭の回転が速い
遠慮がない→堂々としている、物おじしない、正直な、率直な
八方美人→社交的、協調性がある、誰とでも仲よし
器用→手慣れた

派手→華やか
悪趣味→個性的
生意気、反抗的→しっかりしている、自立心がある

冷たい→冷静
不愛想、口下手→クール
根暗→自分の世界がある
堅苦しい→きちんとしている


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